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zoom RSS (127)東日本大震災に思う(31) 原子力発電と核武装

<<   作成日時 : 2011/07/09 17:34   >>

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私のこれまでのブログで、原子力発電と核兵器との関係が度々出て来ました。また7月4日のビートたけしのTVタックルでも「原子力の闇」と題して原子力発電と核武装が話題となりました。今回はこの問題を掘り下げてみます。

(1)平和利用三原則
1951年9月8日、サンフランシスコ講和が調印され、翌52年4月28日に対日平和条約と日米安保条約からなる講和条約が発効し、日本はCHQの支配から解放されました。下写真は、講和会議で演説する吉田茂主席全権です。
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吉田茂率いる自由党は、核兵器を含む科学兵器、原子力の研究開発を目的として、1955年12月に原子力平和利用三原則(民主・自主・公開)を盛り込んだ原子力基本法を成立させ、基本法設立に従って、原子力委員会科学技術庁を相次いで発足させました。そして1956年4月、原子力委員会は茨城県東海村に原子力研究の拠点を置くことを決定し、11月イギリスと契約してコルダーホール型の原子炉の設置工事開始を開始しました。

1954年3月、第五福龍丸が太平洋マーシャル群島ビキニ環礁(下地図クリックすると大きくなります)で、アメリカの水爆実験の放射性物質の降下物を浴びる事件が起こりました。その降下物は日本国内にまでおよび、全国的な反核平和運動に発展しました。
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(2)核兵器保有は合憲―岸発言
1957年2月に政権の座についた岸信介は、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」、「防衛用小型核兵器は合憲であると」などの判断を次々と明らかにしました。
そして1960年に岸内閣は日米安保改定を巡り混乱(下写真)を極めるさなか、「自衛のための必要最少限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されていない。したがって、この限度のものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」として、核兵器保有は合憲との判断を政府見解として確立しました。
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(3)非核三原則
1964年5月、中国が初めて核実験をしました。実験場はタリム盆地タクラマカン砂漠のロプノール(シルクロード楼蘭遺跡の近く)で、1996年までに核実験が45回に渡り実施されました。下は中国の地図上のロプノールの位置と付近の航空写真で、クリックすると大きくなります。
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同じ年の1964年11月 佐藤栄作が首相に就任しました。
首相就任直後の1965年1月、訪米した佐藤は、ラスク国務長官から、「中国が核武装したことに日本はどのように対応するか」と問われ、「日本人は日本が核を持つべきではないと思っている」と答えたあと「一個人として佐藤は、中国共産党政権が核兵器を持つなら、日本も持つべきだと考えている。しかし、これは日本の国内感情とは違うので極めて私的にしか言えないことだ」と答えたといわれています。

1965年8月佐藤栄作は戦後の首相として初めて沖縄を訪問しました。そして「沖縄の祖国復帰なくして、日本の戦後は終わらない」との名せりふを残して、沖縄返還交渉を始めました。
交渉は難航を極めましたが、1971年11月、沖縄返還協定が成立、同時に非核三原則が付帯決議されました。吉田茂以来、日本政府は一貫して核保有は合憲であると言い続けて来ましたが、ここで佐藤政権は初めて国策として非核を鮮明にしました。
しかし、表向きは「核抜き・本土並み」返還を表明しながら裏では「基地の核付き現状維持」の密約があったことが後に明らかになっています。
(註)非核三原則は「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という三つの原則からなります。3項目の表現は「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りがあります。
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(4)核武装の研究
佐藤栄作の沖縄返還交渉の間に外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などが、それぞれ別個に日本の核武装について研究していました。
@外務省―西ドイツとの秘密協議
NHKが2010年10月に放送した「核を求めた日本」によりますと、外務省が秘密裏に接近したのは西ドイツでした。協議の申し入れは日本から行い、協議は人目をさけて、箱根の旅館(下写真)で行われました。
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日本側の「日本は憲法9条があることで、平和利用の名の下に、誰にも止められることなく原子力の技術を手にした。日本は核弾頭を作るための核物資を抽出することができる」との発言に対し、西ドイツのエゴン・バール氏はその夜「大変なことだ」と激しく動揺し、当時のブラウン首相への報告書に「日本が超大国を目指し、核弾頭を持つこともあり得る」と記した、とあります。

A防衛庁の核武装研究報告
防衛庁の研究報告では、「軍用プルトニウムの専用生産原子炉を持つ国は、米、英、仏、ソの4カ国である。これらの生産炉のほとんどは黒鉛減速型炉と呼ばれるものであり、特に原子力発電用として英国等で多数用いられているコールダーホール型原子炉は、まったくこのプルトニウム生産炉の一変形にしか過ぎない」として、東海炉を軍用プルトニウム炉に転換した場合のプルトニウムの生産量を試算しています。
そして、核兵器開発のための原子炉や再処理工場を独自に建設する必要はなく、民間の原子力施設を利用すれば良いとしています。

B佐藤内閣の方針
佐藤内閣の方針は次のように集約されます。すなわち、
@当面核兵器は保有しない政策はとるが、
A核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、
Bこれに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する。
の三点です。言いかえると
@は非核三原則を国策として掲げることでその姿勢を内外に鮮明にする。
Aは高純度プルトニウムを製造することの出来る研究機関「動燃」と、運搬手段としてのロケット技術開発を行なう「宇宙開発事業団」を科技庁傘下に設置する。
Bは原子力と宇宙開発の平和利用政策を正面に打ち出す、ことです。
ここで初めて、原子力平和利用三原則と非核三原則を掲げながら、核兵器開発を具体化する道筋が定められました。
(筆者註:掣肘(せいちゅう)とは「傍から干渉して自由に行動させないこと」の意)

(5)核兵器研究開発への道・第一幕
1967年動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が設立されました。
動燃に与えられた使命は、採算を度外視しても高速増殖炉を開発することでした。
東海村に再処理工場、リサイクル機器試験施設(下写真)を建設し、
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大洗に高速増殖実験炉「常陽(下写真)」を建設し、
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敦賀に高速増殖原型炉「もんじゅ」(下写真)を建設する。
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これらが予定通り進めば20世紀末までに日本は戦術核開発の“技術的ポテンシャル”を確保することが出来るはずでした。

「再処理工場」は通常原子炉の中でウラン燃料を燃やすと、時間の経過とともに、燃料の中にプルトニウムが生まれますが、この使用済み核燃料から、燃え残りのウランとプルトニウムの取り出しを行う工場です。プルトニウムは長崎の落ちたプルトニウム型原子爆弾の原料になります。
「高速増殖炉」はプルトニウムを効率よく燃やして、発電を行うとともに、使った以上のプルトニウムを生み出すことが出来る、資源に限りのある日本にとって夢の原子炉です。
(筆者註:新型炉の開発は通常 実験炉➝原型炉➝実証炉➝商用炉 の段階を経ます)
しかし、この筋書きは音を立てて崩れ去りました。1995年12月、もんじゅをナトリウム火災事故が襲いました。このためにもんじゅの次の段階の実証炉の建設計画は取りやめになりました。1997年東海村再処理工場炎上爆発事故が起こりました。動燃は解体をよぎなくされ、省庁再編で科学技術庁も姿を消しました。ここに、佐藤栄作が立ちあげた巨大構想は2000年までに歴史の幕を閉じました。

(6)すでに始まっている第二幕
しかし、すべてが終わったわけではありません。
動燃は「核燃料サイクル開機構」と名を変えて生き残っています。
「もんじゅ」はその後改修工事を行い、2010年から運転を再開しましたが、同年8月に炉内中継装置落下事故を起こしました。これがまた最近運転を再開したようです。
私のブログでは「高速増殖炉の建設には建設費用がかかること、再処理工程でも費用がかかるため、高速増殖炉に熱心な国は少なく、日本では実用化は急がず、研究だけつづけることにしているようだ」と書きました。これは全く表面的な理由にすぎず、真の研究目的は、軍用プルトニウムの生成研究開発のために運転を続けているのでした。
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東海村の「再処理施設」の能力は小さく、核燃料の再処理はフランス、イギリスに委託していることも、これまでに度々書いてきました。国産の大規模再処理工場(上写真)を六ケ所村に建設中ですが、すでに2兆円の巨費を投じながら、いまだ完成していません。時間をかけてゆっくり作っているように思います。
日本で核兵器に転用が可能な核物質であるプルトニウムを大量に保有することは、国際的な疑惑を招きかねませんので、現在では、プルトニウムを通常の原子力発電所の軽水炉で燃やしています。これがプルサーマル発電です。

第二幕は、すでに深く静かに始まっていました。
しかし、東日本大震災で、福島第一原子力発電所で、大事故が起こりました。これは、筋書きには全くなかったことと思います。原爆の被害を受け、その怖さを充分知っていながら、原子力の平和利用の名のもとに、その技術を手にした日本に、油断があったものと思います。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
今月は「沖縄 だれにもかかれたくなかった戦後史上・下」を読んだためか、昨年(大平洋戦争)とは、また違った思いで終戦記念日を迎えたように思います。今回の安田さんのテーマから、竹島、沖縄基地問題、原発、ばらばらに見える事柄も、すべて戦争からはじまり〜今に繋がっている事がわかります。戦後67年?…当時の戦争でもたらされた問題を、これから知らず産まれる子供達が受け継ぐ事は仕方のない事なのでしょうか…。
はな
2011/08/17 19:52
はなさんへ
この記事をお読み頂きありがとうございます。
私のこれまでの理解の総まとめの意味で、力を入れて書きましたが、ご理解いただけたでしょうか?

今年もはなさんは戦争関連の書物を読み、沖縄旅行をして、また一段と理解を深められましたね。
素晴らしいことです。
沖縄の歴史について私のブログ「(78)沖縄紀行E 首里城 」で、琉球王国の誕生から、明治維新の沖縄県の誕生までを短くまとめています。参考にして頂ければ幸いです。

今年もNHKは、はなさんが旅行中に「原爆投下、いかされなかった極秘情報」という番組を放映しました。
昨年のNHKの「ソ連抑留問題」と同様、証言した方々は88歳の米寿を過ぎた人や、90歳の傘寿を過ぎた人々でした。
原爆投下の情報を事前にキャッチしながら、国民に知らせず、何の対策も取らなかった実態を取り上げていました。
ようやく今頃になって、真実が少しづつ明るみになって来ました。
戦争、原発問題・・・・
まず正しく理解し、そしてこれを子供たちに伝えて行くことが今の親達に必要だと思います。

それから私は今「ジョンウエインはなぜ死んだか」という本を読み終えました。
これについては私のブログ「(136)アメリカ大陸横断D モニュメント・バレー」をご参照ください。
M YASUDA
2011/08/18 00:11
はっきり言って核武装など必要が無いのが解りますか?
核兵器の効果は唯一抑止力にのみ存在するのです。

認識が間違っているので一言
原発は1年で200キロのプルトニュームが生まれます
規、実際に原発の生まれているプルトニュームの一部は原子炉の中で燃え
発電に寄与してます。
もんじゅですがダブリングタイムは30年以上です。
各国が開発を中止したのも経済性です
実際、もんじゅでは3.5トンのプルトニュームを内蔵して、年間100キロのプルトニュームが出来ます。
増殖炉の燃料3.5トン分のプルトニュームを作るのは5機の原子炉をフル稼働させる必要が有る。
それで100キロ増える、軽水炉なら200キロ出来るんで。
軽水炉副産物のプルトニュームを燃やして発電できる点しか開発メリットはありません。
実際はプルトニュームを作るならもんじゅなどの高速増殖炉より
普通の軽水炉を利用した方が生産量が多くなるのを知ってますか?
カスティエル
2012/06/21 23:01
カスティエルさん
ご指摘ありがとうございます。
私が、まったくわからないのは、なぜ巨費をかけて、故障続きの「もんじゅ」を今なお続けているのか?です。
まったく税金の無駄使いです。

そして、「トイレットなきマンション」と言われる原発を、福島の事故の反省もなく、なぜ続けるのでしょうか?
たまる一方の使用済み核燃料棒、処理もせず、子孫に残していいのでしょうか?

私は、原子力工学はまったくの素人ですが、この疑問を解こうとして、ようやく上記の理解を得た次第です。
M YASUDA
2012/06/22 00:15

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