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zoom RSS (158)アメリカ大陸横断(付録2) ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜物語

<<   作成日時 : 2011/10/27 23:07   >>

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アメリカの首都ワシントンのポトマック河畔に桜並木があります。毎年3月末から4月の始めのシーズンには、盛大な「桜まつり」が開催されています。この桜には前回の「自由の女神」同様、さまざまな人々の思いがこめられています。

この間の事情を説明したものをYuTubeで見つけましたので、まず紹介します。
Cherry Blossom Festival Washington DC
Finleyholidayさん  2009/02/04 にアップロード


明治の終わり頃、ワシントンでは来日経験のある学者や作家たちの間で、日本の桜を讃える声が相次いでいました。「アメリカの人たちにあの美しい桜を見せたい。」当時の大統領夫人もこれに賛同し、動き出しました。

この動きを知った尾崎行雄東京市長(下写真左、後に総理大臣に就任、「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれます)は「日本から桜を贈ることは、日露戦争終結のため、1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれたアメリカへの謝意を表するチャンス」と考え、早速準備にかかり、1909年桜の苗木2000本をワシントンに贈りました。しかし到着したこの苗木には害虫が発生し全量焼却処分となってしまいました。
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時を同じくして、ニューヨークに住んで「ニューヨークに桜並木つくろう」と呼びかけていた日本人が居ました。世界的に有名な化学者高峰譲吉博士(上写真右、タカジャスターゼやアドレナリンの発見者)で、彼はワシントンの動きにあわせ尾崎行雄東京市長に働きかけました。

尾崎行雄東京市長は、再び計画をすすめるため、農商務省の古在農学博士に、害虫に強い桜の苗木の準備を依頼しました。博士は静岡県の興津園芸試験場で、接ぎ木により丈夫な苗木を育てる計画を打ち出しました。

ここで、理解を深めるため、接ぎ木のメリット、方法について説明します。
接ぎ木のメリット
もし花が美しくても成長が遅かったり病害虫に弱い品種があったとします。そこで、生育が旺盛で病害虫に強い品種を台木として、そこに前述の花が美しい品種のものを穂木として接ぎ木をします。そうすると両方の性質を引き継いで、生育が旺盛で病虫害に強く花が美しい品種ができます。
接ぎ木の方法
下写真のように、写真@まず穂木を調整します。写真A次に台木を地上一定の高さに切り、切り込みを入れ、穂木を挿入します。写真B接ぎ木テープで接ぎ木部分を巻いて仕上げです。
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上の写真を見ながら、実際の苗木づくりを説明します。
@の接ぎ木に必要な穂木は「五色桜」で有名な東京荒川堤の桜並木から取ることになりました。Aの病気や害虫に強い台木の育成は伊丹の東野村に委託されました。Bそして穂木と台木は興津園芸試験場に運ばれて、接ぎ木され、1912年苗木6,000本が横浜港から出荷されました。半分はワシントンのポトマック河畔植樹用に、残りの半分はニューヨークハドソン川開発300年記念式に贈られました。アメリカに無事着いた苗木には病虫害の苗木は一本もなく、検査官は感嘆の声をあげたといわれています。

ワシントンに着いた苗木はポトマック公園で植樹式が行われました。下写真は最初に植えられた桜の現在の姿と、記念プレートを見る人です。
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ワシントンの贈った3000本の品種は、ソメイヨシノ1300本、他には御車還、白雪、関山、有明、上香、御衣黄、一様、普賢象、福禄寿、滝香、駿河台香等です。このうちの御衣黄20本はすべてホワイトハウスに植えられました。

ニューヨークに着いた桜は、ハドソン河畔、クレモント公園、セントラルパーク等に植えられました。下写真は現在のハドソン河畔の桜です(大きさから見て、おそらく後に植えられたものと思われます)。
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ワシントン桜事件
1937年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ワシントンにジェファーソン記念堂を建立することにし、ポトマック河畔が理想の場所と考えました。それには900本の桜の木を撤去しなければなりません。発表と同時に、ワシントン住民から抗議の声が上がりました。
工事が始まると発表されると、150人の女性が河畔に集まって、桜の木に体を鎖で繋いで反対しました(下写真)。この写真をワシントン・ポストは全米に流しました。
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ルーズベルトは折れて、記念堂を現在の位置(一番上の写真の建物の位置)に建設することにしました。さらに、「日本の桜を植樹する」と声明を出しました。民衆(女性)が勝ち、ポトマック河畔の桜は守られました。

荒川堤のポトマック河畔から里帰りした桜達
荒川堤は明治から大正にかけて東京の桜の名所として名高かった所で、現在の足立区の荒川堤にありました。ここは江戸時代に育成された多くの里桜が植えられて、さまざまな桜がなびくように見えたことから「五色桜」ともいわれました。その後、河川の改修工事等の影響で、ここの桜は散逸してしまいました。
戦後、荒川堤では官民一体となってポトマック河畔から桜を里帰りさせて、「五色桜」を復活させようとする運動が起こりました。この運動はなかなかうまく行かなかったようですが、育った桜が荒川堤の「五色桜公園」にあります。最寄駅は日暮里・舎人ライナーの扇大橋駅です。

この運動の様子は、たくさんの綺麗な桜の写真とともに下の「ふるやのもりさん」のブログに載っています。
http://blog.goo.ne.jp/huruyanomori/e/46ab7588e06b6aa67bdba39dcab012da
http://blog.goo.ne.jp/huruyanomori/e/30660b0219f0a0071d1e11a9eb7eec17
下写真はその中の一枚です。
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台木を育てた伊丹市の「瑞ケ池公園」に里帰りした桜(下写真、日米友好の桜)が植えられています。
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アメリカから返礼として贈られた花ミズキ
アメリカから感謝のしるしとして1915年ハナミズキが日本に贈られて来ました。日比谷公園など都内の公園や植物園に植えられましたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が、不明になってしまいました。現在、小石川植物園、都立園芸高校、興津果樹試験場で、生き残っています。下写真は都立園芸高校が育て、日比谷公園に植えられているハナミズキの子孫です。
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終わりに
日米の友好を深めるために交換された桜とハナミズキの物語。ネットで調べてみると、これにまつわるお話は次々とたくさん出てきます。本稿はそれらをまとめあらすじのみを書きました。このお話に興味をもって頂ければ幸いです。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
戦争というものは全ての物に影響する様で
荒川堤の五色桜も、戦争の混乱期に人々がマキにするために切ってしまった事もあり無くなってしまったようです。
ハナミズキも戦中は敵国から贈られた木なので
粗末にされたみたいですね。
小石川植物園のハナミズキに会いに行きたくなりました。
どこにあるのか探したいです。
ふるやのもり
2011/11/02 22:32
ふるやのもりさん
ポトマック河畔の桜を調べていると、ニューヨークのハドソン河畔にも贈っていたことを知りました。
わたくしの世代は、太平洋戦争、大空襲、原爆投下そして占領と、日米対立の時代に生まれ、育ってきました。
しかし、こうして歴史を調べると、日米友好の期間の方が長いかも知れませんね。
桜を贈った最大の動機は、「日露戦争、講和の仲介のお礼」だったのです。
現地ガイドさん(日本人の男性)は「アメリカ大陸横断をした人は、必ずアメリカを好きになって帰られます」といっていました。私の行ったのは「アメリカ大陸南回り」ですが、現在は「北回り」のツアーもできています。
アメリカから贈られてきた「ハナミズキ」が今、どんなになっているか?
戦争中にポトマック河畔の桜が、どんな扱いをうけていたか?
興味は尽きませんね。
M YASUDA
2011/11/03 11:27
アメリカ横断の旅お疲れさまでした。旅行をする時、その場所の歴史を知っているのと知らないとでは旅の楽しみ方の度合いもかわってくるものですね。
はな
2011/11/25 10:09
はなさんへ
私が旅行前に読んだ本は、旅行ガイドブックではなくて、「ポケット図解 アメリカ合衆国がよ〜くわかる本」でした。
しかし、充分読む時間がなくて、旅行中に見聞したことと、帰国後調べたことをあわせて今回の旅行記を書きました。
旅行記を書いて、私自身、いろいろ勉強になりました。
M YASUDA
2011/11/26 16:25

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