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zoom RSS (163)ニコライ堂と湯島聖堂

<<   作成日時 : 2011/12/24 14:49   >>

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先日、お茶の水に行った時、ニコライ堂と湯島聖堂を見て来ました。
(1)ニコライ堂
重要文化財で、正式名称は「東京復活大聖堂」と言い、ニコライ堂は別名です。
入口の案内板によると「この聖堂は明治17年3月に起工し、工期7年を以って同24年に完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は英国人コンドル博士。日本最大のビザンチン式建築物として知られている。―日本ハリスト正教会教団」とありました。
下写真は通りの入口から見た写真です。
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門から入り、前庭から撮った建物の入り口が下写真です。
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ウイキペデアによると、イイスス・ハリストスの復活を記憶する大聖堂であり、日本正教会の中心的存在である。日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなむとあり、一般的にいわれている「ロシア正教会の大聖堂」と呼ぶのは誤りとされています。
下写真は関東大震災で破損した状況の写真で、これが再建されて現在に至っています。
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(2)湯島聖堂
案内板の説明によると、「儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉が、元禄3年(1690年)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や、学舎を建て、自ら「論語」の講釈を行うなど。学問を奨励した」とありました。(綱吉といえば「お犬さま」「犬公方」等と言われ少々馬鹿呼ばわりされていますが、良いこともやっていたのですね)。
その後、寛政9年(1797年)学舎を広げ、孔子の生まれた地名をとり「昌平坂学問所」(昌平黌)となり、官立の大学として江戸時代の文教センターとなりました。明治維新後は国立の教育機関となり近代教育発祥の地となりました。もとの聖堂は江戸時代の4回の大火や、関東大震災で焼失し、昭和10年(1935年)に鉄筋コンクリートで現在のものが建てられました。
まず案内板による建物の配置図です(クリックすると大きくなります)。
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下写真は入口となる仰高門です。
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仰高門を入って行くと右に下写真の孔子の銅像があります。世界で一番高い孔子像とのことです。
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さらに進むと下写真の入徳門があります。これは木造で寛永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っています。
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門をくぐり、石段を上がると下写真の杏壇門があります。
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この門をくぐると、回廊に囲まれた石畳の広場があり、その奥に大正殿(孔子廟)がありました。
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この内部を見ることは出来ませんでしたが、土・日・祝日には公開されているようです。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
どちらの建物も空襲での被害はなかったのですか?
はな
2011/12/27 21:00
はなさんへ
私も、戦災を受けなかったのか?気になったいろいろ調べました。
この結果、ニコライ堂も湯島聖堂も関東大震災の被害を受けたという記事はあちこちで見ましたが、戦災を受けたという記録は見つけられませんでした。
しかし受けなかった断言する記事も見つけられませんでした。
おろらく、受けなかったのでしょうね。

それから昔、ニコライ堂を日曜日に訪れたことがあります。
日曜日の教会は礼拝があり、はオープンしていて、中に入ったことがあります。
しかし、この日は平日で扉が閉まっていて中に入ることが出来ませんでした。

M YASUDA
2011/12/27 23:20

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