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zoom RSS (273)野口雨情の童謡とその背景

<<   作成日時 : 2013/04/07 23:20   >>

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最近、安田祥子・由紀さおり姉妹の童謡に人気があります。

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童謡は、子供の頃から意味も考えずに歌ってきましたが、前回「赤い靴」の背景を調べて、悲しい事実があることを知りました。もうひとつ私の気になる歌に、やはり野口雨情作詞の「雨降りお月さん」があります。その歌詞は

1番 (雨降りお月さん)
   雨降りお月さん 雲の蔭
   お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
   ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
   傘(からかさ)な いときゃ 誰とゆく
   シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
   お馬にゆられて 濡れてゆく

2番 (雲の蔭)
   いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
   手綱の下から ちょいと見たりゃ
   お袖でお顔を 隠してる
   お袖は濡れても 干しゃ乾く
   雨降りお月さん 雲の蔭
   お馬にゆられて 濡れてゆく

最初に作られたのは1番だけでしたが、その後2番が新たに付け加えられました。1番と2番は別々に作られた違う曲で、旋律を微妙に変えているのです。最初は、題名を「雨降りお月」としていましたが作曲者の中山晋平の要望で「さん」をつけて発表しました。

しかし、この歌は「花嫁が、ひとりで、傘(からかさ)ないときゃ、シャラシャラ シャンシャン 鈴付けたお馬にゆられて 濡れてゆく」歌っています。現代では、考えられない嫁入りの情景を歌っています。今回は、この歌の背景について調べてみます。

野口雨情(本名:英吉)は、明治15年(1882年)5月29日茨城県多賀郡磯原村(現在の北茨城市磯原町)に長男として生まれました。家は代々水戸藩の薪炭奉行を勤め、廻船問屋を営める、世にいう名門でした。写真は雨情の生家で、茨城県文化財に指定されています。

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磯原尋常高等小学校を卒業すると、15歳で上京し、東京教学院中学、順天中学、東京専門学校高等科文学科(早稲田大学文学部)に通学しますが、明治35年5月17日の20歳のときに東京専門学校を中退し、詩を雑誌に投稿し始めました。しかし父の死去により、磯原に呼び戻され、明治37年1月29日野口家の戸主となりました。22歳の時でした。
磯原に帰り家督を継承すると、父が生きている頃から話題に上がっていた花嫁の候補者高塩ヒロと22歳の秋に式を挙げました。その時に出来た歌が、「雨降りお月さん」です。


雨情夫人ヒロの興入れの日は朝から雨が降っていました。当時この地方のしきたりでは、花嫁は馬に乗って婚家に嫁ぎ、花婿や村人たちは家の前で行列を迎えました。ヒロもしきたりに従って、馬に乗って野口家に嫁ぎました。ヒロは栃木県塩谷郡喜連川から雨の中を、馬で2日もかかって来たということです

迎えた雨情は、白無垢姿の花嫁の濡れた綿帽子を心優しくはずしました。これが2人の初めての対面でした。新しい生活への希望に満ちて、凛として馬に乗って嫁いできたお嫁さんに対し、雨のなか遠い道のりを濡れながらやってきたことをねぎらって歌っています。

これを機会に、野口雨情の他の童謡についても調べてみました。

「青い目の人形」
  青い眼をした お人形は アメリカ生れの セルロイド
  日本の港へ ついたとき一杯涙をうかべてた
  私は言葉が わからない迷い子になったらなんとしよう」
  やさしい日本の 嬢ちゃんよ仲よく遊んでやっとくれ
  仲よく遊んでやっとくれ
  作曲:本居長世


この歌に描かれている人形は、昭和2年にアメリカから贈られた「友情の人形」ではなく、キューピーを歌っています。野口雨情は回想文の中でアメリカ生まれのセルロイドで出来たキューピーが子供達に人気があるのを見て、この歌の歌詞を思いついたと述べています。この歌は、あっという間に子供達の愛唱歌として広まりました。

「シャボン玉」
  しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで 飛んだ 屋根ま で飛んで こわれて消えた
  しゃぼん玉消えた 飛ばずに 消えた 生まれて すぐに こわれて 消えた
  風 風 吹くな しゃぼん玉 飛ばそ
  風 風 吹くな シャボン玉 飛ばそ
  作曲:中山晋平

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2才で亡くなった雨情の娘、恒子のことを歌っていると言われています。詩を作った年と娘亡くなった歳が一致せず間違いとする説もあります。自分の娘ではなく、雨情がいつも可愛がっていた親戚の子供が亡くなったとか諸説ありますが、いずれにせよ、幼くして亡くなる子供の死を悼んでこの詩を書いたのは明らかです。

「證誠寺の狸囃子」
  證 證 證城寺
  證城寺の庭は
  ツ ツ 月夜だ
  皆出て来い来い来い
  己等(おいら)の友達ァ
  ぽんぽこぽんのぽん
  負けるな 負けるな
  和尚さんに負けるな
  来い 来い 来い 来い来い来い
  皆出て 来い来い来い
  證 證 證城寺
  證城寺の萩は
  ツ ツ 月夜に花盛り
  己等の友達ァ
 (現在は「己等は浮かれて」)
  ぽんぽこぽんのぽん
  作曲:中山晋平

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野口雨情は、童謡を普及させようと各地を回っていました。
大正12年(1923年)、木更津尋常高等小学校で君津郡教育委員会主催の文芸講演会に出席した際、木更津町長から童謡を作ってくださいという依頼を受けました。その題材が「證誠寺の狸伝説」でした。

「七つの子」
  烏なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ
  可愛可愛と 烏は啼くの 可愛可愛と 啼くんだよ
  山の古巣へ いって見て御覧 丸い目をした いい子だよ
  作曲:本居長世


「七つの子」の「七つ」とは、七羽のカラス、七才のカラスなど、様々な説があります。ではどちらが正しいのでしょうか?
カラスの卵は普通3個から5個で、7個もの卵は産みません。まして、産んだ卵が全て孵化するのはまれなことです。よって、七羽のカラス説は否定されています。
カラスの平均寿命は5〜7年ですが、卵が孵化しても厳しい自然の中で生き抜くことは至難の業で、約1年後の繁殖期まで、その大半は育ちません。よって、七才のカラス説も成り立たなくなります。

では、この「七つ」とは一体なんの事なのでしょうか?

雨情はこの「七つの子」を人間の7才の子にだぶらせて書いたとも言われています。「七つの子」には七五三の風習が隠されていたのです。神様の加護により3才まで生きられた、5才まで育った、7才を無事に迎えられたという、喜びとお礼参り、今後も元気に生きていけますようにという願いこそが、七五三を生み、育んできました。

つまり「七つの子」になって、親はやっと胸を撫で下ろすのです。そういった親の想いを詩に表したのではなかといわれています。

以上、野口雨情の童謡の背景を調べてみましたが、当時の世相を巧みに歌っていることを知りました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
雨降りお月さんは女性の自立の歌かなぁ
と思いながら子供が小さい頃聴いていました。
慣れ親しんだ生家を出てアウェイに嫁に行くんですから。
特に長男の立場の男性は、結婚しても家庭では母親にずっと守られるわけですので、嫁に来る女性の心はわからないと思いますが。
女性はたった一人で敵地に乗り込むようなもんです。
「一人で」唐傘さして行く
泣きの涙で袖が濡れる事があったとしても
大丈夫すぐに乾くよと。
当時、田舎の長男と結婚した私はそんな気持ちで
この歌を聞いていました。
なんか懐かしいです。

ふるやのもり
2013/04/12 17:47
ふるやのもりさん
適切なコメント、ありがとうございます。
ふるやのもりさんのご経験から、花嫁の心理や立場を解説していただき、理解を深めることが出来ました。
これまでは、何とはなく歌い、聞き流してきたこの童謡の意味を考えるようになったのは、ごく最近のことです。やはり、男には、女性の心理がわからないのですね。
しかし、この童謡に意味を考える機会が出来て、
良かった!
間に合った!
という気がしています。
M YASUDA
2013/04/12 20:55

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