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zoom RSS (370)京都大学農学部農林経済学科同期会C 南禅寺、琵琶湖疏水、碧雲荘

<<   作成日時 : 2014/11/12 20:29   >>

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今回の同期会を機に、私的に訪れたいところが2カ所ありました。それは三高寮歌に歌われている「吉田山」と、大学の2・3年生の2年間下宿した「南禅寺」でした。
「吉田山」の訪問記は次回とし、今回は「南禅寺」訪問を紹介します。南禅寺訪問は、同期会の宇治観光が予定より早く終了したので、同期生の杉江君と、宇治に近い「六地蔵」から、京都市営地下鉄で南禅寺に近い「蹴上(けあげ)」まで行くことで実現しました。

地下鉄「蹴上」で下車し、参道を歩き「南禅寺」をめざしました。
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下写真は、私が下宿していた当時の「真乗院」です。
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当時の本堂は、6室に区切られ、真中奥の1室に本尊がまつられ、その前は読経の部屋、その横は、庫裡に通じる部屋で、残る3室に3人の学生が下宿していました。私は、外側の2室に応援団の仲間と下宿していました。下写真は私の部屋から外を見たところです。
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この寺があったと思う所に、お土産を売る「観門亭」があり、少しずれた所に下写真のような現在の「真乗院」ありましたが、かなり形が変わっていました。
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失礼して、門の中を覗かせてもらったのが下写真で、朱枠が私が下宿していた所に相当する部分です。
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下は当時に写真ですが、明らかに上と変わっています。
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南禅寺を散策しました。下写真は石川五右衛門で有名な「三門」です。
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下写真は、その後方にある「法堂」です。
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さて「蹴上」に戻って、地下鉄「蹴上駅」から地上に出ると、眼下に下写真の「蹴上発電所」が見えました。この発電所は日本の最初の水力発電所です。
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この発電所を動かしていたのは、「琵琶湖疏水」の水です。
琵琶湖疏水は明治23(1890)年に5年の歳月をかけて完成しました。滋賀県大津市の取水地点から、京都市伏見区で一級河川濠川となる地点までの約20kmを流れています。疏水は運河としても利用された「第一疏水」。電力の需要増大に対応し、発電用として第一疏水とほぼ同じ取水地点から全線トンネルを流れ、蹴上付近で合流する「第二疏水」。および蹴上付近から分岐して北白川に至る「疏水分線」からなっています。「哲学の道」を流れる川は、この疏水分線の一部です。
明治2(1869)年、東京遷都が行われ千年続いた「都」の座を譲ることになった京都は意気消沈し、景気は衰退しました。このような状況の中、明治14(2881)年、京都の復興と近代化推進を目指して琵琶湖疏水工事が行われたのでした。下図は、琵琶湖疏水の概略図です。
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下写真は、南禅寺入口から見上げた「蹴上インクライン」跡です。
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下写真は同じ場所の昭和15(1940)年頃の写真です。落差の大きい蹴上船溜りと南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートルを台車に船を載せて上下させていました。
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下写真は、南禅寺境内にある「水路閣」です。
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下写真は「水路閣」の上を流れる「疏水分流」の流れです。
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下写真はネットからの物ですが、疏水分流が流れる「哲学の道」です。
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南禅寺を見た後、南禅寺界隈の別荘地帯を歩きました。ここは明治新政府が召し上げた臨済宗南禅寺の敷地を開発した後に15邸の広大な別荘地帯が生まれました。下写真はその一つの「碧雲荘」です。ここは実業家二代目野村徳七が、大正時代から昭和時代にかけて増築した数寄屋造りの別邸です。2006年12月19日、国の重要文化財に指定されています。非公開ですが、同行の杉江君は「野村証券・京都支店」に勤めたこともあって、ここをよく知っていました。
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下写真は他の別荘です。表札が出ていないので、オーナーはわかりません。
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観光客を乗せた「人力車」が通り過ぎて行きました。
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
南禅寺のブログを興味深く拝見しました。感心するのは、貴兄が五十数年前の写真をよくぞ残していたことです。
高校が大津市内だったので、琵琶湖疏水の取水地点のことは良く知っています。

碧雲荘(野村別邸)は、秘書室勤務だったとき、仕事で度々通った思い出深いところです。
晩年「能と茶道」を趣味とした徳七翁は、碧雲荘内に本格的な能舞台を造営し、自らも演じたと聞いています。
なお、茶道道具のコレクションは、隣接する野村美術館(野村文華財団・運営)に収納されていて鑑賞出来ます。
興味のある方は、南禅寺界隈に行かれた折にお立ち寄りください
sugikan
2014/11/14 08:16
sugikanさん
3年生の夏休みに北海道の営林署でアルバイト実習して、そのアルバイト料で、始めたカメラを購入し、あちこち撮った写真が残っていました。

碧雲荘(野村別邸)の説明ありがとうございました。
2年間この前を通学に通っていましたが「豪邸があるな」とは思っていましたが、オーナーまでは調べなかったです。貴兄のおかげで初めてオーナーを知りました。

 
M YASUDA
2014/11/14 08:28

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