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zoom RSS (378)ビキニ水爆実験:第五福竜丸以外の船員の被ばく追跡調査を厚労省が示唆

<<   作成日時 : 2015/01/08 11:36   >>

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2015年1月5日付けの毎日新聞1面トップに「ビキニ水爆実験:船員被ばく追跡調査 福竜丸以外で初」との大きな見出しが躍っていました。この記事によると

1954年に静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくした太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験をめぐり、厚生労働省が近く、当時周辺海域で操業していた他の船員について健康影響調査の乗り出すことがわかった。被災船は全国で少なくとも500隻、被災者は1万人とされる。

とありました。ビキニ水爆実験に関しては私のブログ「(124)東日本大震災に思う(29)  日本初の原子力発電所 誕生秘話」
http://21432839.at.webry.info/201106/article_22.html
で、紹介をしていますが、今回の毎日新聞の記事に関して、記事の内容とその背景を紹介します。

第二次世界大戦の後、東西冷戦が進むなか、アメリカは1946年から1958年にかけて、太平洋のビキニ環礁とウニウエトク環礁において67回におよぶ原子爆弾および水素爆弾の実験を行いました(下写真クリックすると大きくなります)。

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そのなかで、1954年3月1日にビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験が行われた時、東約160キロの海域に、静岡県の焼津港を母港とするマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が操業していました。第五福竜丸はアメリカが当時核実験場周辺に設定していた危険水域の外にいましたが、乗組員23人は、空から降ってきた白い粉を浴びました。それは爆発により焼けた珊瑚礁が灰にになって吹き上げられたもので、核爆発による放射能を帯びたもの(死の灰)でした。第五福竜丸は3月14日、焼津港に帰港しましました(下写真)。
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帰港した第五福竜丸には東京・大阪・広島から専門家がかけつけ、乗組員の健康診断や船体検査が行われました(下写真)。
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乗組員は全員が「急性放射能症」と診断され、都内に搬送され入院しました。また船体と持ち帰ったマグロからも強い放射能が検出され、マグロは全量廃棄処分となりました。下写真は特に火傷がひどかった増田三次郎さん。
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放射能の検出は、第五福竜丸だけにとどまりませんでした。その年の3月から12月まで日本政府の指示によりマーシャル諸島周辺海域を通過した漁船の放射能検査が行われました。その結果、政府調査だけでも、被災した漁船は856隻、廃棄した魚は486トンにおよんだといわれています(下図)。その間、9月23日には、第五福竜丸の無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

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この放射能検査は12月で打ち切られ、日米政府間協議の結果、翌1955年1月4日、アメリカ側の法的責任を問わない「慰謝料」として200万ドル(7億2000万ドル)を日本側が受領することで「完全な解決」とする日米交換公文に署名、政治決着しました。
1955年4月の閣議決定で、慰謝料の配分先に、第五福竜丸以外の船員123人の治療費や992隻が水揚げした汚染マグロなどの廃棄経費が含まれていました。しかし政府はその後、こうした船員らについてまったくフォローしていませんでした。

1986年3月の衆議院予算委員会分科会でも、今井勇厚生大臣(当時)は、当時の記録の存在を否定したうえで「30年以上前のことで調査も難しいし、対策を講ずることは考えにくい」と答弁していました。
しかし当時の記録は残っていました。被災時に厚生省がまとめ外務省を通じてアメリカに提出した検査記録が残っており、厚生労働省は2013年その一部を開示しました。

高知県で1980年代から船員の聞き取りを進めてきた市民団体「太平洋被災船員支援センター」が、2014年7月その基になった記録の開示を求めました。厚労省はその求めに応じて2014年9月、延べ556隻(実数474隻)の船員の体表面などを検査した記録を開示しました。
毎日新聞では、厚労省幹部は「過去に薬害エイズもあり『資料を隠していた』と指摘されることに厚労省は敏感だと話し、記録開示の延長線上で、船員らの健康調査をせざるを得なくなったことを示唆している、としています。

しかし、被ばくから60年が経っています。余りにも遅い追跡調査です。すでに多くに方々が亡くなっています。なぜもっと早くやってきれなかったのか?!というのが遺族の方々の思いでしょう。

第五福竜丸はその後、東京水産大学での練習船「はやぶさ丸」として約10年の間、学生の航海実習に使用された後、1967年(昭和42年)に廃船となりました。その後、いくつかのスクラップ業者などを経て、夢の島に打ち棄てられていたところ、地元江東区民の間から保存の声が上がり、地元有志が船体を30万円で買い取り、日本各地で保存のための募金や署名活動が行われ、現在では夢の島公園にある「東京都立第五福竜丸展示館」に展示されています(下写真)。
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1946年7月5日、フランスのデザイナー ルイ・レアールが、セパレーツの大胆な水着を世界で初めて発表しました。この年、アメリカの原水爆実験が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で初めて行われたことから、自分のデザインした水着(下写真)が、原水爆なみの衝撃と効果を巻き起こすことを期待して「ビキニ」と名付けました。今や世界に広まり、7月5日は「ビキニの日」になっています。
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(124)東日本大震災に思う(29)  日本初の原子力発電所 誕生秘話
(1)ビキニ環礁・原水爆実験、その名は水着に 1946年7月5日、フランスのデザイナー ルイ・レアールが、セパレーツの大胆な水着を世界で初めて発表しました。この年、アメリカの原水爆実験が中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で初めて行われたことから、自分のデザインした水着(下写真)が、原水爆なみの衝撃と効果を巻き起こすことを期待して「ビキニ」と名付けました。今や世界に広まり、7月5日は「ビキニの日」になっているようです。 その、ビキニ環礁の原水爆実験は、戦後1946年〜58年の間、続けて行... ...続きを見る
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