M YASUDAのブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS (381)彦根城物語A 明治天皇により取り壊しを免れた彦根城

<<   作成日時 : 2015/01/21 19:58   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

幕末の日本には幕府直轄の江戸、大阪、駿府、二条、甲府の5城と、161の大名の居城、藩の属城などを合わせて約180の城がありました。江戸城は1869(明治2)年3月に皇居として使用されることになり、大阪城は同年11月、兵部省管轄となり、場内に陸軍省、士官学校、砲兵工廠などが置かれ軍事拠点となりました。

4年後「廃城令」が公布され、陸軍と大蔵省に処分が任されました。当時「城郭が文化財」という意識はなく、むしろ封建時代の遺物として敵視され、反政府勢力の拠点となることを恐れ、積極的に破壊が進められました。

このように全国で城郭の取り壊しが進むなか、安政の大獄を起こし敵視された井伊家の居城が、取り壊されずに残ったのはどうしてでしょうか?ここには間一髪のドラマがありました。

1871(明治4)年の廃藩置県で彦根城は政府の所管となり、翌年から陸軍の駐屯地となりました。そして城門、城壁、石垣などが次々と撤去されていきました。7年後の1878(明治11)年、城すべてを解体することになり、10月には足場が組まれ、解体作業が始まろうとしていました。下写真は上が解体以前の彦根城の表門付近、下は京橋口付近です。
画像

画像

明治元年の王政復古により、天皇主権の近代国家が誕生しました。そこで天皇の権威と維新政府の威信を示すために、1872(明治5)年以降6回にわたって明治天皇の全国巡幸が行われました。北陸地方へは1978(明治11)年に訪れています。下写真は錦絵で『北陸東海御巡幸 石川県越中国富山船橋図』です。

画像

この北陸巡幸から京都に戻る途中の明治天皇は同年10月10日、福田寺(米原市長沢)に一泊しました。下写真は福田寺の山門です。「明治天皇長澤御小休所」の石碑が立っています。
画像

この時に福田寺の住持の摂専の正室で明治天皇の皇后の従姉妹でもあった福田寺かね子が彦根城保存の嘆願を行いました。かね子の婚礼の時に仲人を行ったのが住持の摂専の従兄弟にあたる井伊直弼だった事から、井伊家と福田寺が密な関係にあった事がこの嘆願の始まりだったようです。

翌11日、明治天皇は円照寺(彦根市高宮)に泊まりました。下写真は円照寺の山門です。
画像

12日には彦根市平田の県営製糸工場を見学し、さらに彦根城にも立ち寄りました。上述の通り彦根城は取壊しが決定し解体用の足場も組まれていました。明治天皇に随行していた大隈重信は、「武士の魂の入れ物」の天守閣が無くなるのを惜しみ天皇に彦根城保存を奏上しました。明治天皇はこれを認めて内大臣・岩倉具視に城郭保存を伝えました。
15日、宮内卿から滋賀県令・籠手田安定へ内達書が送られ彦根城は解体の途中で急遽保存となりました。

明治天皇の北陸巡幸に随行した高崎正風は
「いでまして めぐみの露の かからずは
  ひこねのふる城 くちやはてまし」

と詠み、巡幸がもたらした彦根城の幸運を後世に伝えています。

ちなみに明治天皇が泊まった円照寺に下写真の止鑾松(しらんのまつ)2世が残っています。
画像

明治天皇が円照寺に宿泊することとなったので、玄関に天皇の乗り物をつける時に「松の木が邪魔であるので切れ」と役人が命じました。しかし、円照寺の住職はこれに抵抗を示しました。役人が明治天皇にご意向を伺うと、天皇は「歩くことなど言うまでもない」と松の木の前に乗り物を止めて御座所まで歩かれました。
その後、住職はこの松が天皇の乗り物の鈴“鑾(らん)”を止めたので“止鑾松(しらんのまつ)”と名付けて明治天皇の慈悲と共に後世に伝えています。

福田寺は、一般に長沢御坊の名で親しまれている本願寺の連枝寺でもあり、京都とのつながりが深い名刹です。江戸時代には上述の通り、住持の摂専が従兄弟にあたる彦根藩主・井伊直弼の計らいで、摂政関白右大臣二条斎敬(なりゆき)の妹かね子(明治天皇皇太后の従妹)を室に迎えています。同寺の公家奴振り(下写真)は、この時、夫人に随従してきた供方が伝えたものといわれています。毎年、春と秋の2回に、当時のままに再現されています。
画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは〜。
彦根城物語、興味深く拝見させていただきました。
明治天皇
明治政府の傀儡みたいなイメージしかありませんでしたが
暖かいお人柄の方だったのですね。
掘り進んでいくと思いがけないエピソードが
出てきたりして
まるで宝物を掘り当てたみたいで
大変面白いですね。
ふるやのもり
2015/01/25 23:27
ふるやのもりさん
お読み頂きありがとうございます。
国内を旅行すると、城が徹底的に破壊され何も残っていない所を目にすることがあります。
そうすると彦根城が残ったありがたさを実感します。
しかし、地元彦根の人はこの話をほとんど知りません。
彦根城は「あって当たり前。なぜ残っているのか?」などと疑問に思う人はほとんどありません。
私は、小学校の時、彦根城を見学した時に、案内の先生より聞きました。
ずっと半信半疑で過ごしてきましたが、今回詳しく調べて、やっと本当だったと確信しました。
あの時の先生、よくご御存じだったと、いまさらながら尊敬します。
私の「彦根城物語シリーズ」の核心はこの記事で、他は背景を浮き彫りにするためのものです。
この記事、地元の人の目に触れることを願っています。
M YASUDA
2015/01/26 16:52

コメントする help

ニックネーム
本 文
(381)彦根城物語A 明治天皇により取り壊しを免れた彦根城 M YASUDAのブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる