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zoom RSS (393)大山街道をホントに歩く(補1) 渡辺崋山と「游相日記」

<<   作成日時 : 2015/03/07 11:39   >>

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「游相日記」は画家・思想家として名高い渡辺崋山が1831(天保2)年に書いた相模小旅行の絵入り紀行文です。
江戸時代のメインの五街道については、いろいろな人によってスケッチされ、また書物も刊行されていますが、脇街道であった大山街道について書かれたものは、この「游相日記」が唯一のもののようです。

渡辺崋山は1793(寛政5)年、三河国の小藩・田原藩家臣の長男として江戸に生れました。家が貧しく内職のために絵を学び、画才を発揮して20歳代で一流画家と認められました。

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学問は佐藤一斎らを師として儒学を修めましたが、1832(天保3)年、江戸詰年寄役に就いたころから高野長英らと蘭学を研究し、海外事情にも通じるようになりました。藩政改革に実績を上げながら、幕府の鎖国政策に批判的意見を強めるようになりました。
しかし1839(天保10)年、幕府により長英らとともに投獄(蛮社の獄)され、国元・田原で蟄居の身となり、同12年その地で自刃しました。享年49歳でした。

「游相日記」は素描20点を含めて全68丁の紀行文です。下はその表紙です。
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原本は旅行中に作られた渡辺崋山の自筆本とみられていましたが、個人蔵となっていて1923(大正12年の関東大震災で焼失しました。幸いその前に精巧な複製本が製作されていましたので、現在その内容を見ることができます。下はその最初のページで、出発日「天保二年九月廿日」が読み取れます。

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下は、絵入りのページです。
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この旅の主たる目的は藩主・三宅氏の家譜編纂のための調査で、特に崋山が近侍していた三宅友信の生母(11代藩主康友の側室)お銀様のその後の消息を、実家のある相州に訪ねることでした。

渡辺崋山は上のページのように、1831(天保2)年9月20日、弟子・高木梧庵を伴い江戸を出発しました。大山道を西へ進み、その日は荏田(横浜市青葉区)「枡屋」(下図)に泊まりました。

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翌21日は下鶴間(大和市)「まんじゅう屋」伊兵衛の家(下図)に泊まりました。

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22日には小園村(綾瀬市)で、今は貧しい農家の主婦であるお銀様と25年ぶりに感動の再会を果たしました(下図 左お銀の父幾右衛門、中央お銀様、右崋山)。

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その後、厚木宿に2泊し、24日の厚木出発で紀行は終わっています。
崋山は宿で地元の人々と酒宴に興じ、絵や俳句を作って与えるなど楽しみながら、一方で農業事情、厚木の繁栄、下野烏山藩の苛政、相模川の水運と水害等を為政者の目で見ています。また、画家の目で相模の自然や風物、人物をこまやかに記録した心あたたまる紀行文です。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
渡辺崋山の「游相日記」とは絵入りの旅行記だったのですね。
大山街道を歩いていた頃は毎回毎回、渡辺崋山?お銀様??
詳しく調べようともしませんでしたが、勿体ない事でした。
改めてMYASUDAさんのブログで拝見させていただきますと
今さらながらに感動が湧いてきました。
ありがとうございました。
特に「まんじゅうや」は饅頭屋だと思っていて
お饅頭買って帰ろうと楽しみにしていたのに
「まんじゅうや跡」しかなくてがっかりしたのですが
何か・・・恥ずかしい思い出ですね。

あと
私が渡辺崋山で覚えている事があります。
三宅坂です。
田原藩の三宅家の上屋敷があった所で
渡辺崋山が生まれた所と立札が立ってた様に思います。
ふるやのもり
2015/03/19 16:58
ふるやのもりさん
「游相日記」を古文で読む元気はありませんので現代語訳を精読しています。今後、私のブログにも適宜織り交ぜようと思っています。
私のウオークは鷺沼から始めましたので、大山まで行った後、江戸赤坂御門から鷺沼を歩こうと思っています。
その時に三宅坂も訪れてみます。
M YASUDA
2015/03/20 00:20
ふるやのもりさん
渡辺崋山は、鶴間宿で紹介状を持って泊まる予定の豪農の家を訪れましたが、取り込んでいたので宿泊をあきらめ、土屋伊兵衛、俗にまんじゅう屋という宿屋に泊ったようです。
小さな旅籠で、饅頭も売っていたので、俗に「まんじゅう屋」ともいわれていたようです。
M YASUDA
2015/03/20 00:44

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