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zoom RSS (423)般若心経を聞きながら入門しよう

<<   作成日時 : 2015/12/03 00:32   >>

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まず、般若心経(正確には仏説摩訶般若波羅蜜多心経)を聞いてみましょう。

下はその経典です。これは薬師寺管長であった故高田好胤師が、1968(昭和43)年、薬師寺の金堂復興のため「般若心経の100万巻写経勧進」を発願された時の台紙で、私は今もこの台紙を使って写経しています。
その下は般若心経の読誦です。▲を押すと読誦を聞く事が出来ます。読誦は真言宗仁和寺教学部監修のポニーキャニオン社版のDVDから収録しています。


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以下に経典の原文(漢文)と、読み下し文(斜文字)と現代語訳を、講談社発行勝俣俊教氏著「お経真言宗」より抜粋し掲載しています。
読誦を聞きながら、これらをご覧いただき、読経の練習や、写経などの参考にして頂ければ幸いです。


仏説摩訶般若波羅蜜多心経

仏の説きたまえる摩訶般若波羅蜜多心なるお経


観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。
照見五蘊皆空。度一切苦厄。


観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、
五蘊は皆(みな)空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。


観自在菩薩は、深遠なる「智慧によるさとりの修行」という行をなされていた時、自我(自己)は色形(いろかたち)ある身体と、心のはたらきとしての感受と、表象と、意志と、意識との合わせて五つから成っているが、その五つの集合(五蘊)は、みな本来実態のないもの(空)と見究められて、それを実体視してとらわれることから起こる人々のすべての苦しみや災厄を救われた。


舎利子。色不異空。空不異色。
色即是空。空即是色。
受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相。
不生不滅。不垢不浄。
不増不減。


舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、
色は即ち是れ空、空は即ち是れ色なり。
受・想・行・識も、亦復(またまた)是(か)くの如し。
舎利子よ、この諸法は空相にして、
不生にして不滅、不垢にして不浄、
不増にして不減なり。


シャーリプトラよ、現象としての色形あるもの(色)は、実態のないもの(空)と異ならず、実体のないものは色形あるものと異ならない。およそ色形あるものは現象であるからそのまま実体のないものであり、実体のないものはそのまま現象としては色形あるものである。これと同じことが、感受(受)、表象(想)、意志(行)、意識(識)とについても考えられる。

シャーリプトラよ、この世におけるすべてのものは、現象としてはあるけれども、本来実体のないものである。したがってこの立場から見れば、ものが生じることもなく、滅することもない。垢(けが)されることもなく、浄(きよ)められることもない。また増すこともなく、減ることもない。


是故空中。無色無受想行識。
無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。
無眼界乃至無意識界。
無無明亦無無明尽。
乃至無老死亦無老死尽。
無苦集滅道。無智亦無得。


この故に、空の中には色も無く、受・想・行・識も無く、
眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、色・声・香・味・触・法も無く、
眼界も無く、ないし、意識界も無し。
無明も無く、また無明の尽くることも無し。
ないし、老死も無く、また老死の尽くることも無し。
苦・集・滅・道も無く、智も無くまた得も無し。


それゆえに、すべてのものは因と縁とのよって現象的には成立しているが、そこに変わらない実体はない(空)という立場からは、色形あるものも、感受も表象も、意志も意識もそのまま実体としてあるのいではない。(五蘊空)

また眼と、耳と、鼻と、舌と、身と、意との六つの器官(六根)は、そのまま実体としてあるのではなく、六つの器官のはたらきの対象となる色と、声と、香と、味と、触れられるものと、思い考えられるもの(六境)は、そのまま実体としてあるのではなく、六つの器官が六つの対象に向かって起こる視覚と、聴覚と、嗅覚と、味覚と、触覚と、意識との六つの心のはたらき(六識)はそのまま実体としてあるのではない。(以上は六根・六境・六識の十八界の空)

また、十二支縁起で説くところのはじめの無明(根本の迷い)もそのまま実体としてあるのではなく、したがって無明がなくなるということもない。また十二支縁起の終りの老と死もそのままにあるのではなく、したがって老と死がなくなるということもない。(以上は十二支縁起の空)

また四つの真理(四聖諦)としての苦しみも、苦しみの原因も、苦しみの原因も、苦しみを滅した状態も、苦しみを滅する修行の方法もそのままにあるのではない。(以上は苦・集・滅・道の四聖諦の空)

また知るはたらきもそのままにあるのではなく、知ることによって得られる結果もそのままにあるのではない。


以無所得故。
菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。
心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。
遠離一切顚倒夢想。究竟涅槃。
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。
得阿耨多羅三藐三菩提。


無所得を以っての故に。
菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に、
心に罣礙無し。罣礙無きが故に、恐怖有ること無し。
一切の顚倒せる夢想を遠離して、涅槃を究竟す。
三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、
阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。


それは何故であるかと言えば、知られる理法はそのまま体得されることがないからである。
さとりを求める人(菩薩)は、「智慧によるさとりの修行」を依りどころとしているから、心にさわりさまたげがないから、恐れがなく、あらゆる間違ったものの見方をはなれて、ついに身心の絶対の安らぎの境地(涅槃)にいたる。

過去の仏も、現在の仏も、未来の仏もすべて「智慧によるさとりの修行」の完成によって、この上もない正しいさとりを得て覚者となられたのである。


故知般若波羅蜜多。是大神呪。
是大明呪。是無上呪。是無等等呪。
能除一切苦。真実不虚故。
説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。

羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶。


故に知るべし、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり、
是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なり。
能く一切の苦を除く。真実にして虚ならざるが故に、
般若波羅蜜多の呪を説く。即ち呪を説いて曰く

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑婆訶と。


それ故に知るべきである、「智慧によるさとりの修行」とは、これは大いなる不思議な真言(呪)である、これは大いなる霊力に満ちた真言である、これは無上の真言であり、比類なき真言であると。すべての苦しみを除く力があり、真実にして虚偽(いつわり)ではないものである。この「智慧によるさとりの修行」の真言を説くと次のようになる。

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ。彼岸の完全に往ける者よ。さとりよ。幸あれ。


般若心経。

般若心経(終わる)

ここに「智慧によるさとりの修行」の精髄を説く経、終わる。



同じ般若心経でも、宗派によって読み方が異なります。下は深川成田山護摩経典の読み方です。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
同じ般若心経でも、読み方が違うものなのですね。
お遍路をしていても、
御先達に連れられて団体さんが来ていますが
鳴り物があったりして派手だったりしますし
ホラ貝を吹いたりしてる人もいたり
色々あるんだな〜と思います。
ふるやのもり
2015/12/05 00:22
般若心経の中心(要諦)は、
「色即是空。空即是色」だと思います。
「色」は「いろ」でなく「しき」と読み。色形のあるもの。
「空」は「そら」と読まず「くう」と読み、実体のないもので、これが般若心経の心だと思います。
これを理解、体得するために、古来、幾多の名僧が修業を重ねてきたのだと思います。
私達も、少しでも、わかるように頑張って行きましょう。
四国お遍歴は、良い経験をされていますね。これが終わる頃には、何かを体得されていることと思います。
頑張ってください。
M YASUDA
2015/12/05 08:07

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