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zoom RSS (438)大山街道をホントに歩くM 赤坂御門(東京都港区)〜渋谷(渋谷区)

<<   作成日時 : 2016/06/25 11:50   >>

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大山街道は、江戸中期以降、江戸庶民の大山詣(もうで)の道として盛んに利用された、江戸赤坂御門から、大山阿夫利神社に至る約70kmの街道です。私は昨年、「大山街道」の「鷺沼」から「大山阿夫利神社」までを歩き、江戸時代にこの街道を歩いた渡辺崋山の「游相日記」も引用しながら紹介しました。
今年は、まだ歩いていない大山街道の起点の「赤坂御門」から「鷺沼」までを順次歩いて紹介します。その前に、天保二年九月二十日、大山街道に旅立った渡辺崋山の「游相日記」の冒頭の部分を紹介します(下図)。

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これを、涌田佑氏著の「平成校注 游相日記」から現代語に訳します。
「天保二年九月二十日(内弟子の)高木梧庵を連れて相模国厚木へ旅立つ。ちょうど空が曇って雨が降ってきたので、蓑と笠を買った。銀で十一匁三分を支払う。又、胡粉と朱砂も買ったが(この方は)価はわずか一朱であった。(俳人の)太白堂主人長谷川狐月を訪れて(いろいろと街道筋の話などを聞いてから)、青山の料亭へ寄り(食事をして)銭二百三十文を支払ってそこを出た。
(梧庵は江戸との別れを惜しんで)「幾ほどもあらで帰らん旅なれどしばし別れに袖しぼりぬる 梧庵
道玄坂で煙管を買う。銅銭七十文であった。」

2016年6月19日、表題の通り赤坂御門から渋谷まで歩きました。下写真は、大山街道の起点「A赤坂御門跡」です。赤坂御門は江戸城三十六見附の一つで、「赤坂見附」ともよばれていました。寛永16(1639)年福岡城主黒田忠之が造営しました。
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赤坂御門の石垣の裏に「紀州藩麹町邸の遺構」が復元されています。この遺構の石垣の上から赤坂見附方面を見下すと、下写真のように弁慶堀にかかる「B弁慶橋」が見えました。
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下写真は「赤坂見附交差点」です。中央にそびえるビルは、「C赤坂プリンスホテル」が解体されて建った「東京ガーデンテラス紀尾井町」です。
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下写真は、青山通りを歩き始めて最初の歩道橋に上り、青山方面を撮ったものです。
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この歩道橋を渡ると「E豊川稲荷」がありました。江戸町奉行大岡越前の守忠相の子忠宣が、屋敷内に祀ったのが始まりといわれています。
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歩道橋を戻って「F牛鳴坂」じ入りました。この坂は路面が悪く、車をひく牛が苦しんだため名づけられました。
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青山通りに出ると「I高橋是清翁記念公園 」がありました。高橋是清は二二六事件で暗殺された首相で、彼の死後、屋敷が東京都に寄贈され公園になりました。写真は園内にある高橋是清の銅像です。
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下写真は青山二丁目の三叉路の「M明治神宮外苑」に入っていく道路です。秋には街路樹が色付きます。
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地下鉄銀座線「外苑前駅」の出入りに孟宗竹が植えられて通路があり、その奥に「N梅窓院」の山門が見えました。領主青山幸成の法号に因んで名付けられたと伝えられています。
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表参道交差点の少し手前に「P善光寺」の朱塗りの山門がありました。徳川家康が信濃の善光寺から勧請して谷中村に建て、この地に移転したものです。
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表参道交差点を過ぎると、青山通りの左に「R青山学院」がありました。
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青山通りの反対側には「S国連大学」がありました。ここはもと都電の「青山車庫」があったところです。
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青山学院を過ぎて、左に折れて「(23)金王八幡宮」に向かいました。金王八幡宮の社殿は慶長17(1612)年の建立で、渋谷区最古の木造建築です。江戸八幡宮の一つに数えられ、幕府要人の崇敬が篤かったといいます。
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北隣に「(25)東福寺」がありました。境内は、緑豊かで静寂そのものでした。
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この後、「(24)金王坂」を歩き「宮益坂」に向かいました。宮益坂は、富士山がよく見えたため「富士見坂」ともよばれていました。
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宮益坂の右に「(22)御嶽神社」がありました。「宮益」の地名の起こりは、坂の途中にあるこの神社の御利益で、益々栄える町ということに由来すると伝えられています。
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そして渋谷駅に着きました。下写真は、人々の待ち合わせの目印になっている「(27)ハチ公の銅像」です。この日のウオーキングはここまでにしました。
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(393)大山街道をホントに歩く(補1) 渡辺崋山と「游相日記」
「游相日記」は画家・思想家として名高い渡辺崋山が1831(天保2)年に書いた相模小旅行の絵入り紀行文です。 江戸時代のメインの五街道については、いろいろな人によってスケッチされ、また書物も刊行されていますが、脇街道であった大山街道について書かれたものは、この「游相日記」が唯一のもののようです。 ...続きを見る
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2016/06/25 12:39

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