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zoom RSS (448)詩吟(練習用)@ 「不識庵機山を撃つの図に題す」 「八幡公」 「青葉の笛」 「辞 世」

<<   作成日時 : 2016/08/21 00:02   >>

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不識庵機山を撃つの図に題す
      頼 山 陽 <吟> 巽  吟城
「不識庵」は越後の上杉謙信、「機山」は武田信玄、ともにその法号です。両雄の川中島での戦いは1553年の第一回から、最後は1561年の5回に及んでいます。この漢詩は頼山陽が自分の[日本外史]の資料から謙信の胸中に同情する形で作られています。

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八幡公
       頼 山 陽 <吟> 奥山紅雋
源義家(通称八幡太郎義家)は年少の頃から戦場に出て武威を知られていました。関八州の人はもちろん草木もなびくほどの威風でした。その義家が兵を率いて奥州の安倍氏を討った時、彼は冷静沈着、兵営は満を持して静まり返っていました。ある時、義家が辺境の城近く馬を進めると前方で雁の乱れ飛ぶのを見て、伏兵を知り、逆に敵を破ったという故事をうたっています。

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青葉の笛
        松口月城 <吟> 久保草風
一ノ谷の陣営も遂に支えきれず、敗者平家の最後はまことに哀れで人を悲しませる。戦いの終わった須磨の海岸には残月がかかり、戦のさなか、砦の中で哀しい調べで笛を吹いていた者があったが、誰であろう。これぞ平敦盛である。
戦前の文部省唱歌の次のように歌われていたます。
  一の谷の 軍(いくさ)破れ
  討たれし平家の 公達あわれ
  暁寒き 須磨の嵐に
  聞こえしはこれか 青葉の笛
鵯越えで有名な一の谷の合戦で、海上に逃れようとした平敦盛は、源氏方の熊谷直実に呼び戻された。敦盛を組敷き首を刎ねようとした直実は、14歳の敦盛に驚き逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれた。その時腰に携えていた笛「名笛青葉(または小枝)」を歌ったものです。

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辞 世
        吉田松陰 <吟> 陣川虎鳳龍
この漢詩は、吉田松陰が評定所で、死罪の判決を受けた後に、大声で吟じたものといわれています。

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