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zoom RSS (449)詩吟(練習用)A 「偶 作」 「鉄拐峰に登る」 「赤 壁」 「和歌・返らじと」

<<   作成日時 : 2016/08/21 16:12   >>

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偶 作
    武田信玄 <吟> 田中摂洋
南方諸国を攻略して十余万の兵を皆殺しにした。腰の剣は未だに血腥い。ところが小僧はこの私が甲斐の国主であることを知らず、私に向かって丁寧に姓名を尋ねるのであった。
という意味の武田信玄の作った漢詩ですが、明の初代皇帝・朱元璋の作った漢詩「無題」も同様の内容であり、これを真似たものと思われます。

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鉄拐峰に登る
    梁田蛻巌 <吟> 長山国嶺

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赤 壁
    杜  牧 <吟> 中武岳玲
砂の中に埋もれていた戟(ほこ)の断片を掘り出したが、その鉄は錆びていない。
自分で洗って磨いてみると、まさしく三国時代の遺物と認められた。
東風が周瑜のために都合よく吹いてくれなかったら、
あの喬家の二人の美女は、曹操の想いものとなって、春深き銅雀台の奥深く閉じ込められてしまったことであろう。

「赤壁」は後漢末期、呉・蜀の連合軍が魏の曹操80万の水軍を破った古戦場。
呉の将軍「周瑜」は武将黄蓋の策を用いて、魏の兵船が密集しているところを焼き討ちにしました。火は折からの東南の風にあおられて、魏軍は壊滅しました。
「周郎」は周瑜で郎は郎君の意で尊称。「銅雀」は曹操が魏都に築いた台の名。「二喬」は呉の喬玄の二人の娘。共に絶世の美女で、姉は孫策に嫁し、妹は周瑜に嫁しました。

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和歌・返らじと
    楠木正成 <吟> 山中鈴鶯
「勝ち目のない戦いで、生きて帰れぬ身であるが、自らが生きてきた証に、亡き人の仲間入りする名前をここに刻み、必死の覚悟で出陣します。」という大意です。
楠木正成の長男・正行が、四條畷の戦(足利尊氏軍と の戦)に際し、最後の戦いとの覚悟の上、塔尾山 椿花院 如意輪寺に 詣で、正面の扉に鏃(矢の先)で この和歌を刻んで出陣したといわれています。

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