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zoom RSS (455)原爆を描いた映画@ 戦後初めて原爆を取り上げた映画「原爆の子」

<<   作成日時 : 2016/09/26 19:16   >>

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映画「原爆の子」は、1952年(昭和27年)8月6日公開の日本映画です。近代映画協会製作、北星配給。監督は新藤兼人、主演は乙羽信子(下写真)です。長田新が編纂した作文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店刊)を基にした作品で、戦後初めて原爆を直接取り上げた映画とされています。
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この映画は、1953年(昭和28年)、カンヌ国際映画祭に出品されました。1954年(昭和29年)には第8回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で平和賞、1956年(昭和31年)には第10回英国アカデミー賞で国連平和賞やポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受賞し、世界に於いても反核映画の第1号となりました。

私はこの時、小学校5年生で、学校から全員揃ってこの映画を見に行きました。しかし原爆投下のときの描写に恐れ、また映画の筋も理解できずにいましたので、かねがねもう一度見たいと思っていました。幸い、ネットでこの映画に出会いましたので、ここに掲載させていただきます。この映画は海外で上映されたものと思われ、英語の字幕が付いた非常に貴重なものです。

原爆の子 ChildrenOfHiroshima(1952)
hisanori muramotoさん
2015/01/18 に公開


広島市内に住んでいた石川孝子(乙羽)は、昭和20(1945)年8月6日の原爆の投下により、家族全員が亡くなった中で彼女一人だけが辛うじて生き残りました。その後、彼女は瀬戸内海の小さな島で教員として勤務をしていました。
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やがて彼女は、原爆投下当時に勤めていた幼稚園の園児達のその後の消息を知りたいと思い、捜索の行動に移す決心をし、夏休みを利用して、久し振りに広島を訪れました。下写真は船から見た広島の町です。
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あれから、街は見違える様に美しく復興していました。孝子はまず、自分達家族の家の跡(下写真)を訪れました。
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映画はここで、思い出として、短時間ですが原爆が落ちた瞬間を再現します。
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そして、原爆ドームを訪れる孝子です。
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孝子は橋の袂で一人の乞食に出会いました。顔が焼けただれ目が見えないその男は、昔彼女の父親の会社で働いていた岩吉でした。
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その夜、孝子は、岩吉の家に泊まり、被爆後の様子を聞きました。彼は生き残った孫の太郎を孤児院に預けて一人で乞食の生活をしていました。孝子は2人を島へ連れて行こうとしましたが、岩吉がどうしても承知しないので太郎だけでも引き取りたいと話しますが、受け入れませんでした。
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孝子は、昔幼稚園の同僚夏江の家(下写真)に間借りし、そこを拠点にして、生き残った三人の子どもたちを訪ねることにしました。
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まず訪れたのは「三平」という男の子でした。孝子がようやくその家を訪ね宛てていくと、ちょうど父親が原爆症で死ぬところでした。
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二人目は女の子で「敏子」といい、ある教会に保護されていました。その子も重い原爆症にかかっており、余命いくばくもない様子でした。その子がベッドに寝そべりながら、人々のためにお祈りする姿に孝子深い感動を覚え、彼女の希望で歌を歌ってやりました。
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三人目は「平太」という男の子でした。その子の家を訪ねると、両親は原爆で亡くなっていましたが、兄弟4人が支え合いながら暮らしていました。そんななかで、姉がこの日これから嫁入りするのだと紹介されます。彼女も被曝して足を大怪我したのでしたが、そんな彼女でも以前の婚約を守って結婚してくれる人がいると聞かされ、彼女は一筋の光明のようなものを感じたのでした。下写真は孝子も招かれて姉を送りだす兄弟の宴です。
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原爆でひどい目に会ったのは、この子たちだけではありませんでした。孝子の同僚の夏江も、原爆症のために不妊症になってしまったので、養子をもらう決心をしたと語ります。孝子も腕に大怪我をし、その時の異物がいまでも腕に突き刺さったままで、それを抜かないのは、原爆の記憶をなくしてしまわないためだ、と彼女は自分自身に言い聞かせるように語るのでした(下写真)。
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孝子は、もう一度「岩吉」を訪れ、太郎の引き取りを申し入れます。最初は頑なに拒否し続けましたが、岩吉の近所に住む婆さんの説得もあり、しぶしぶ受け入れて、太郎との面談となしまいたが、今度は太郎が、孝子のとことに行くことを拒否しました。
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岩吉は、一計を案じ、太郎に新しい運動靴を買い与え、ご馳走を食べさせ(下写真)て、手紙を持たせて孝子のところへ行かせました。
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その間に、岩吉は自宅に火を放ち自殺を図ったのでした。お婆さんが皆を呼びに来て、皆で、火傷を負った岩吉を見舞いました。
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翌日、夏江の見送りを受け、岩吉の遺骨を持った太郎を連れて、孝子は島へ帰ります。
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その時、飛行機の爆音が聞こえてきました。孝子と夏江は不安そうに空を見上げました・・・・
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この映画が制作された翌年、映画「ひろしま」が制作されました。この時私は小学校6年でしが、この映画も学校からそろって見に行きました(行かされ?ました)。正直、怖くてこの映画をまともに見ていませんでした。ほかの生徒もそうでした。この映画もネットで見つけましたので、次回掲載します。

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