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zoom RSS (472)中山道をホントに歩く(4) 板橋宿(板橋区)〜舟渡の板碑群(板橋区)

<<   作成日時 : 2017/02/03 20:43   >>

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2017年2月2日、JR埼京線「板橋駅」で下車し、中山道が埼京線と交わる「踏切@」からウオーキングを開始し、「板橋宿」を通過して、荒川の手前「舟渡」まで歩きました。
下は浮世絵に描かれた「板橋宿」です。板橋宿は作られた当初は江戸から近いことが災いし、先を急ぐ人は素通りし、江戸を目指す人はあともう少しと通過してしまって、宿泊客が少なく困っていました。ところが江戸幕府の安定期に入ると江戸に近いことが幸いし、宿場というよりも江戸庶民の盛り場として賑わいました。
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下はこの日のルートマップです。
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「@踏切」は日本橋から二番目の一里塚のあたりで、ここから板橋宿が始まります。
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踏切を越えると「A平尾宿商店街」です。一般に「板橋宿」は、江戸に近い方から「平尾宿」「中宿」「上宿」の三宿を総称して呼ばれています。
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国道17号線の高架をくぐると、真言宗豊山派の「B観明寺」がありました。
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その裏に「C板橋宿平尾町脇本陣跡」の碑がありました。近藤勇が処刑までここに監禁されたといわれています。
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中山道に戻って進むと「中宿のゲート」がありました。
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ゲートをくぐると、すぐに下写真の古風な商店がありました。
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すぐに「D遍照寺」がありましたが、工事中で本堂はありませんでした。境内は幕府公伝馬の「馬繋ぎ場」と言われています。
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下は「E板橋宿本陣跡碑」です。代々飯田新左衛門が勤めていて、現在も「飯田不動産」になっています。
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スーパーを挟んで、本陣飯田家の菩提寺である「F文殊院」がありました。
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中山道を隔てた向かい側に「G板橋宿中宿脇本陣跡碑」がありました。脇本陣ですが飯田家の総本家の跡です。
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下は板橋宿の由来となった石神井川に架かる「H板橋」です。橋の手前の碑に「距・日本橋二里二五町三十三間」と記されていました。
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下は「I縁切榎」です。男女の縁を切りたいときは、この榎の皮を煎じて相手に飲ませると成就するといわれています。
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やがて旧中山道は国道17号線に合流し、右に「J氷川神社と南蔵院」がありました。
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南蔵院は八代将軍吉宗が、荒川で鷹狩を行うときに御膳所としたところです。
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その先の交差点に日本橋から三番目の「K志村の一里塚」がありました。塚木の榎は三代目で、両塚が残っているのは極めてまれといわれています。
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塚の隣に古風な家屋の材木商「斎藤商店」がありました。
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交差点「志村坂上」から国道から離れ、旧中山道に入っていくと「L庚申塔と道標」がありました。
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その先の坂道に「清水坂」の碑がありました。江戸時代ここからは富士山が右手に見えたことから、名所になったそうです。
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国道に戻って横断すると「N薬師の泉」がありました。吉宗も鷹狩の時に愛用したようです。
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国道を進み新河岸川にかかる「O志村橋」を渡ると、このあたりは「戸田の渡し場」だったといわれています。その一角に「P舟渡りの板碑群」がありました。板碑は親の供養や自分の後生供養を目的とした卒塔婆です。
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この日のウオーキングはここで終えQJR埼京線「浮間舟渡駅」から帰宅しました。


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