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zoom RSS (484)中山道をホントに歩く(6) 蕨宿(埼玉県蕨市)〜浦和宿(埼玉県さいたま市)

<<   作成日時 : 2017/05/31 20:28   >>

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2017年4月25日、JR京浜東北線「蕨駅」で下車し、前回の終点の蕨宿から、中山道を北上して浦和宿を通過し、JR京浜東北線「北浦和駅」まで歩きました。下図は、浮世絵の描かれた「浦和宿浅間山遠望」の図です。

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現在の浦和は東京に近いこともあって大都市として発展していますが、天保14年の記録では本陣1、脇本陣3、旅籠屋15軒で、埼玉県内にあった9宿のなかでは、小さな方でした。
下図は、この日のルートマップです。

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@京浜東北線「蕨駅」で下車し、約1kmを歩き、中山道に着くと「A岡田加兵衛本陣跡」に着きました。この隣には前回紹介した「蕨市立歴史民俗資料館」があります。
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ここから、前回歩いた中山道に沿って行くと、国道17号線との交差点付近に、蕨宿の京(西)口の木戸を模した「B上木戸跡」のモニュメントがありました。
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中山道を進と「C宝蔵院」がありました。
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やがて、「一六用水」にかかる「D一六橋」がありました。この名はこの辺りで、一と六のつく日に市が立っていたことに由来しています。
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東京外環自動車道下に、江戸日本橋から5里目の「E辻の一里塚碑」が立っていました。碑の傍らに弁財天がありました。
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先に進むと旧辻村になり、辻村の鎮守の「F熊野神社」がありました。
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近くに「G吉祥院」がありました。境内に大銀杏があり、参道の祠に六地蔵と子育て地蔵が安置されていました。
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その先には「H萬蔵院」があり、行基作の延命地蔵尊が祀られていました。
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やがて「I焼米坂」に着きます。この坂には名物「焼米」を商う立場がありました。
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浦和宿に近づくと「J調(つき)神社」がありました。調は租庸調の調(みつぎ)物を意味し、武蔵国の調はここに集められました。調は月信仰に結びつき、狛犬は兎でした。
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浦和宿に入っていくと「K中山道浦和宿碑」が立っていました。
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「浦和駅西口」交差点です。
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中山道の左手に真言宗豊山派「L玉蔵院」の山門が見えました。
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弘仁11(820)年弘法大師の創建、伽藍は元禄12(1699)年の災禍後再建されたものです。
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写真は「M星野権兵衛本陣跡」で、現在は仲町公園となっていて「明治天皇行在所跡碑」が立っています。
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左手に常盤公園(鷹狩場御殿跡)に通じる道「市場通り」あり、野菜を売る女性のブロンズ像がありました。
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市場通りの隣の通りに「N浦和宿二・七市場跡」です。当時の浦和宿では二と七のつく日に市がたっていました。
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すぐ近くに、真言宗豊山派の尼寺「O成就院」がありました。
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京浜東北線の陸橋を越えたところに「P笹岡稲荷神社」がありました。
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線路沿いに歩くと京浜東北線「Q北浦和駅」があり、この日のウオーキングはここまでにしました。

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