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M YASUDAのブログ
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完全退職して7年が過ぎました。これまでの7年を振り返り、これからの人生を、
家族、友人、知人、地域社会とともにいかに健康で、有意義に過ごすか?
その方法を模索しながら、皆様とともに歩もうとするブログです。
皆様のコメントをお待ちしています。

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(213)日光・奥州街道、奥の細道B 小山(おやま)から宇都宮
(213)日光・奥州街道、奥の細道B 小山(おやま)から宇都宮 2012年5月16日、「日光・奥州街道、奥の細道バス旅行」の第三回は小山から宇都宮までです。 (12)小山宿 小山は、日本の歴史に「関ヶ原の戦い」の勝敗を左右する重要な場所として登場しています。1600年(慶長5年)、徳川家康が上杉討伐軍を率いて小山まで来た時に、大阪で石田三成の挙兵を聞き、諸将を集めてここで評定を開きました。この評定では並み居る豊臣恩顧の諸将が「三成憎し!」で、徳川方に着き、その戦いの勝敗を左右しました。世に名高い「小山評定」です。下写真はその「小山評定所跡」です。この背後... ...続きを見る

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2012/05/22 20:36
(212)金環日食 2012年5月21日
(212)金環日食 2012年5月21日 待ちに待った金環日食の日となりましたが、ここ横浜市青葉区は生憎の曇り空でした。駄目か!と諦めかけていたところ、雲が切れて薄日がさしてきました。日食グラスをかざすと、雲を通してかすかにかけ始めた太陽を見ることが出来ました。それから後も、欠けていく太陽に雲がかかったままでした。 日食グラスでは見難いので「はずしてみては」と、肉眼で、雲越しに太陽を見ました。雲が天然のフィルターになって、日食グラスを通して見るより、太陽が大きく見えました。ついでに写真も撮ってみようと、フィルターなしに、小さなデジカメ... ...続きを見る

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2012/05/21 20:15
(212)陸軍登戸研究所(補遺4)まとめにかえて
(212)陸軍登戸研究所(補遺4)まとめにかえて 陸軍登戸研究所シリーズのまとめにかえて、以前に勤めた会社のOB会の会報に寄稿した原稿を掲載します。 ...続きを見る

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2012/05/12 20:22
(211)続・東日本大震災A:北太平洋の海流とさまよう漂流物
(211)続・東日本大震災A:北太平洋の海流とさまよう漂流物 今年3月、カナダ沖で、東日本大震災発生時、青森県八戸港に係留されていた「第11漁運丸」が漂流しているのが見つかりました(下写真)。 ...続きを見る

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2012/05/03 23:25
(210)陸軍登戸研究所(補遺3) 秘密戦に関連する用語の解説
(210)陸軍登戸研究所(補遺3) 秘密戦に関連する用語の解説 これまで、私の「陸軍登戸研究所シリーズ」では、現代では日常的には使われていない秘密戦に関連する特殊用語を使ってきました。若い人々にはなじみがないと思いますので、明治大学平和教育登戸研究所資料館(以下単に「資料館」と呼びます)の資料から、それらを調べて読者の皆様の参考に供したいと思います。 ...続きを見る

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2012/05/02 17:53
(209)御岳山 ロックガーデンめぐり(ウオーキング花MinJ)
(209)御岳山 ロックガーデンめぐり(ウオーキング花MinJ) 2011年4月28日、ウオーキング花Minの次回企画の下見のため、担当者数名で御岳山に行ってきました。御岳山は関東随一の霊場です。武蔵御嶽神社をはじめ、山あり、森林あり、滝あり、渓流あり、宿坊あり、商店街あり、まさに雲上の別世界です。まず山麓の「滝本駅」からケーブルで、山上の「御岳山駅」(下写真)まで、登りました。 ...続きを見る

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2012/05/01 10:40
(208)平瀬川沿いの桜B
(208)平瀬川沿いの桜B 2012年4月24日、気温がぐんぐん上がり、今年一番の暖かさ(暑さ)となりました。平瀬川の桜もいよいよ最後かと思い、午後、平瀬川に行きました。前回訪れた時から一週間が過ぎています。チラホラ咲きだった桜もすでに満開でした。まづ、浄水場通りの西側(平瀬川上流)を歩きました。 最初は、ウコン(鬱金)です。前回はチラホラ咲きでしたが、満開の黄緑色の八重の花を咲かせていました(以下の写真はすべてクリックすると大きくなります)。 もう少し緑色が濃いギョイコウ(御衣黄)も珍しい八重の満開の花を咲かせていま... ...続きを見る

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2012/04/27 10:50
(207)日光・奥州街道、奥の細道A 幸手宿から間々田宿
(207)日光・奥州街道、奥の細道A 幸手宿から間々田宿 2012年4月18日、「日光・奥州街道と奥の細道バス旅行」の第二回は東京丸の内から参加しました。東京駅の改修工事は最終段階に入り、すでに工事のカバーが取り外されていて、その全容を見ることが出来ました(下写真)。建設当初のドーム屋根が復元されています。 ...続きを見る

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2012/04/20 11:29
(206)平瀬川沿いの桜A
(206)平瀬川沿いの桜A 2012年4月16日、再び平瀬川沿いの桜を見に行きました。ソメイヨシノはすでに散ってしまいましたが、ここの桜は、前回来た時にまだ開花していなかった約半数の桜が、ようやく「つぼみ膨らむ」から「チラホラ咲き」、「2〜3分咲き」といったところでした。今回はそれらの桜を紹介します。(写真はすべてクリックすると大きくなります) ...続きを見る

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2012/04/17 14:18
(205)陸軍登戸研究所(補遺2)明治大学平和教育登戸研究所資料館の内部
(205)陸軍登戸研究所(補遺2)明治大学平和教育登戸研究所資料館の内部 2012年4月12日、明治大学生田校舎を訪れ、登戸研究所資料館に入りました。受付で「内部の様子の写真を撮りたいのですが・・・」とお願いしたところ、「所蔵資料撮影申請書」に個人用として必要事項を記入して、撮影許可を得ました。以下に、資料館の内部の様子と、これまでのブログにない新発見の写真を掲載します(写真はすべてクリックすると大きくなります)。 レストスペース 入口を入ってすぐにあります(下写真)。戦前・戦後の写真が掲示され、登戸研究所に関するビデオも見られるようになっています。 第一展示室... ...続きを見る

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2012/04/15 11:25
(204)陸軍登戸研究所(補遺1) 桜の季節の明治大学生田校舎とその周辺
(204)陸軍登戸研究所(補遺1) 桜の季節の明治大学生田校舎とその周辺 2012年4月12日、午前中に「平瀬川沿いの桜」を見て、その後、明治大学生田校舎を訪れました。生田校舎では「登戸研究所資料館」を見た後、生田校舎とその周辺の桜を見てきました。まず今回は、生田校舎とその周辺の桜の様子を掲載し、資料館の内部は次回に譲ります。 ...続きを見る

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2012/04/14 16:15
(203)平瀬川沿いの桜@
(203)平瀬川沿いの桜@ 2012年4月12日、川崎市宮前区菅生の「蔵敷(ぞうしき)交番前」近くを流れる「平瀬川」の桜を見に行ってきました。平瀬川沿いの桜はふるやのもりさんのブログ(下記)にたびたび紹介されています。 http://blog.goo.ne.jp/huruyanomori/e/a6ec34d9467a390b651edf2d823b8139 小さな川ですが、両岸にいろいろな桜が植えられています。桜にはその名前とともに寄贈した人や団体の名前、桜の性質・特徴などが書かれています。桜のミニ標本並木といった感じ... ...続きを見る

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2012/04/13 23:03
(202)弘法山と権現山ウオーク(ウオーキング花MinI)
(202)弘法山と権現山ウオーク(ウオーキング花MinI) ウオーキング花Minの4月イベントは「弘法山と権現山ウオーク」です。 弘法山(こうぼうやま)は、神奈川県秦野市東部にある標高235 mの山で、隣接する権現山、浅間山とともに弘法山公園となっています。名前の由来は弘法大師がこの山で修行を行ったとされる故事に由来します。山頂には釈迦堂、鐘楼などがあります。 コースを下の地図(クリックすると大きくなります)に示しました。秦野から権現山・弘法山を通って、鶴巻温泉に抜ける約5kmのコースです。 ...続きを見る

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2012/04/11 11:11
(201)陸軍登戸研究所(完) 関係者たちの戦後
(201)陸軍登戸研究所(完) 関係者たちの戦後 免責された戦争責任 アメリカ政府は、戦争終結から秘密戦に関わる情報を収集しようとしました。それは冷戦が進む中で、ソ連よりも早く、そして効率よく生物化学兵器の開発と実戦に関するデータやノウハウを入手することに目的がありました。しかし、敗戦直後のアメリカによる日本の秘密戦の調査および関係者への尋問はスムースには進みませんでした。 ...続きを見る

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2012/04/09 10:42
(200)陸軍登戸研究所D 731部隊と登戸研究所
(200)陸軍登戸研究所D 731部隊と登戸研究所 登戸研究所でまず疑念を抱かれるのが、人体実験をしていたかどうか?でしょう。今回は731部隊と関連して、この点を解明してみます。 ...続きを見る

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2012/04/08 11:09
(199)陸軍登戸研究所C 登戸研究所で開発された兵器
(199)陸軍登戸研究所C 登戸研究所で開発された兵器 前回では、陸軍内部における陸軍登戸研究所の位置づけ、また登戸研究所の内部組織とそれぞれの研究・開発分野を述べましたので、今回はそれぞれの担当分野でどのような兵器開発や活動を展開したのか調べてみます。 ...続きを見る

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2012/04/07 14:58
(198)陸軍登戸研究所B その位置づけと研究内容
(198)陸軍登戸研究所B その位置づけと研究内容 (1)第九陸軍技術研究所の成立 登戸研究所が「第九陸軍技術研究所」と呼ばれていた時期がありました。この「第九・・・」とはどのような意味があるのでしょうか? ...続きを見る

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2012/04/06 15:51
(197)陸軍登戸研究所A その跡地は現在どのようになっているのでしょうか?
(197)陸軍登戸研究所A その跡地は現在どのようになっているのでしょうか? 登戸研究所は川崎生田区(現在の川崎市多摩区)にありました。 その敷地面積は、11万坪であったといわれています。昭和22年(1947年)、終戦から2年後にGHQが撮った航空写真に次のようなものがあります(写真をクリックすると大きくなります)。 ...続きを見る

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2012/04/05 22:55
(196)陸軍登戸研究所@ 明治大学平和教育登戸研究所資料館の概要
(196)陸軍登戸研究所@ 明治大学平和教育登戸研究所資料館の概要 (1)はじめに 明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)に「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が、2010年3月29日開設されています。 「登戸研究所」は、旧日本軍の秘密戦兵器開発のための研究所で現在の川崎市多摩区にありました。秘密戦とは防諜・諜報・謀略・宣伝の分野の戦いをいいます。 登戸研究所の前身は、1919年に設立された「陸軍科学研究所」で、1937年に同研究所に「登戸実験場」が開設されました。その後、1939年に「登戸出張所」と改称され、1942年には「第九陸軍技術研究所」と改称・改... ...続きを見る

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2012/04/01 12:17
(195)日光・奥州街道、奥の細道@ 日本橋から杉戸宿
(195)日光・奥州街道、奥の細道@ 日本橋から杉戸宿 2012年3月21日、「日光・奥州街道と奥の細道バス旅行」の第1回(日本橋から杉戸宿まで)に参加ました。 (0)日本橋 日本橋は東京都中央区の日本橋川にかかる橋で、1603年に五街道の基点として架けられました。現在の石造りの橋は1911年に造られました。橋の中心に「日本国道路元標」があり、日本の道路網の始点となっています。また元標の真上には首都高速道路が走っていますが、その間の橋桁を挟んで、空中に「道路元標地点」の柱が立っています(下写真 クリックすると大きくなります)。 また、近くに「東... ...続きを見る

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2012/03/26 23:23
(194)日光・奥州街道と奥の細道バスの旅〜みちのくの史跡と、芭蕉の足跡を訪ねて〜
(194)日光・奥州街道と奥の細道バスの旅〜みちのくの史跡と、芭蕉の足跡を訪ねて〜 このたび、表題の「日光・奥州街道と奥の細道バスの旅〜みちのくの史跡と、芭蕉の足跡を訪ねて〜」(日本ファミリー旅行催行)を見つけました。このバスの旅行は、2年をかけて、日光街道と奥州街道の史跡をめぐりながら、芭蕉がたどった道も辿ろうとする企画です。 その初年度分の行程は次の図(以下の図表はすべてクリックすると大きくなります)のようになっています。 ...続きを見る

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2012/03/25 10:24
(193)よこはまシティウォーク(ウオーキング花MinH)
(193)よこはまシティウォーク(ウオーキング花MinH) 2012年3月18日(日)、横浜レクリエーション協会主催の「第22回 よこはまシティウォーク」に花Minメンバー7人で参加しました。 このウォークには30km、20km、10kmの3つのコースがあり、花Minは全員10kmのコースに参加しました。10kmコースは朝10:00〜11:00にみなとみらい線「馬車道駅」をスタートして、17:00までにゴールすればOKです。下の地図の赤線がそのコース(クリックすると大きくなります)です。 10:00の受付に並び、受付を終ってスタートして間もなく、レン... ...続きを見る

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2012/03/24 12:48
(192)大シルクロード天山南路(終) 新疆ウイグル自治区の仏教とイスラム教
(192)大シルクロード天山南路(終) 新疆ウイグル自治区の仏教とイスラム教 前回で「大シルクロード天山南路走破13日間」の全行程を終りましたが、かつてこの地で栄えた仏教がどうして消えていったのか?そしてどのような過程でこの地方が現在のようにイスラム化していったのか?またイスラム教とはどのような宗教か?という疑問について、文献を調べたところを書いて旅行記を終ります。 ...続きを見る

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2012/03/20 14:54
(191)大シルクロード天山南路(22) 西安、慈恩寺大雁塔、西門、陜西歌舞大劇院
(191)大シルクロード天山南路(22) 西安、慈恩寺大雁塔、西門、陜西歌舞大劇院 2005年6月9日午後、ウルムチから西安に到着しました。西安とその周辺には周代から唐代にかけて約2000年間、多くの王朝が都を置いてきました。中でも唐の長安城は当時世界最大の都市といわれました。宋代以降は政治・経済の中心は東の開封に移り、長安が首都に戻ることはありませんでした。首都機能を失った長安は名称も西安と改称され城壁も縮小され、一地方都市となりました。しかし、現在の西安は2008年のオリンピックを控え、建設ラッシュで、飛行場から市内に向かうバスの窓からそれを望めました(下写真)。 西安で... ...続きを見る

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2012/03/19 16:53
(190)大シルクロード天山南路(21) ウルムチから西安へ
(190)大シルクロード天山南路(21) ウルムチから西安へ 2005年6月9日朝、ウルムチ空港を飛び立ち、西安に向かいました。飛行機は三蔵法師玄奘が歩いたゴビ沙漠の上を飛びます。幸いこの日は天気が良くて、絶好の航空日和でした。下に玄奘が歩いた道の地図(クリックすると大きくなります)にウルムチから西安までの飛行ルート赤線で示します。飛行距離は約2,000kmあります。 ...続きを見る

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2012/03/16 23:12
(189)大シルクロード天山南路S カシュガルU アパク・ホージャ・マザール、エイティガール寺院
(189)大シルクロード天山南路S カシュガルU アパク・ホージャ・マザール、エイティガール寺院 カシュガルはシルクロードの天山南路と西域南道を結ぶ交通の要衝です。人口32万人、ウイグル族が多数を占めています。10世紀にトルコ系支配者がイスラム教を崇拝し国教に定めたことから、イスラム教が新疆ウイグル自治区全体に広まりました。現在、町の中心地に新疆ウイグル自治区最大のモスクであるエイティガール寺院があり、中国のイスラム教の中心地となっています。 ...続きを見る

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2012/03/14 22:46
(188)大シルクロード天山南路R カシュガルT カラクリ湖
(188)大シルクロード天山南路R カシュガルT カラクリ湖 カシュガルの第一目はカラクリ湖の往復です。カラクリ湖はカシュガルの南200km、パミール高原のいずれも標高7,000mを超えるコンクール山とムスターグ山に挟まれた標高3,600mの高さにある湖です。 この日、ウルムチからカシュガルまでの長距離を運転してくれたバスをウルムチに帰して、地元のバスに乗り換えました。またカラクリ湖は富士山よりも高いところにあるので、希望者には高山病の備えとして空気枕のような袋に酸素が入ったものが用意されました。バスの座席は順番に前の席に座りことになっていましたが、私は... ...続きを見る

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2012/03/13 16:25
(187)大シルクロード天山南路Q アクスからカシュガルへ
(187)大シルクロード天山南路Q アクスからカシュガルへ 2005年6月6日、アクスから、シルクロードの奥の天山南路と西域南道が交わるカシュガルに向かいました。この日も天気はどんより曇り、見通しが利きませんでした。アクスを出て間もなくタリム河を渡りました(下写真)。 沙漠の中を南疆鉄道の列車が走っているのを見ました(下写真)。 下の写真は沙漠の中でバスを停めて、青空トイレットです。道路を隔てて男性と、女性を分けます。 ...続きを見る

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2012/03/13 11:17
(186)大シルクロード天山南路P クチャからアクスへ
(186)大シルクロード天山南路P クチャからアクスへ 2005年6月5日、クチャでの3日間の観光を終えて、アクスへ向かいました。下写真はクチャで泊まったホテル「庫車(クチャ)飯店」です。 下2枚の写真は出発前に、ホテルの前で撮った写真です。 ...続きを見る

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2012/03/13 00:01
(185)大シルクロード天山南路O タリム沙漠公路、胡楊林、タリム河、沙海
(185)大シルクロード天山南路O タリム沙漠公路、胡楊林、タリム河、沙海 2005年6月4日、この日はタクラマカン沙漠のタリム(塔里木)沙漠公路を走る日でした。ところが前日までの快晴とはうって変り、どんよりとした曇り空で、見通しのきかない天候になりましました。「沙漠にもこんな天気があるのか」と期待していただけにガッカリです。 現地ガイドによると「タクラマカン」とはウイグル語で「入ったら出られない」という意味とのことです。タリム沙漠公路はクチャの隣の輪台からタクラマカン沙漠を縦断して、砂漠の南を走る西域南道の民豊まで開通しています。 私たちは輪台のタリム沙漠公路のゲ... ...続きを見る

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2012/03/11 14:43
(184)大シルクロード天山南路N クチャV 塩水渓谷、クズルガハ烽火台、バザール
(184)大シルクロード天山南路N クチャV 塩水渓谷、クズルガハ烽火台、バザール 2005年6月3日、キジル千仏洞の行き帰りに、塩水渓谷を見ました。 塩水渓谷はクチャから西北20〜30kmの所にあります。ここにはケエレターグ山から流れ出る大量に塩分を含んだ雪解け水が、谷間で干えあがり、下写真のように谷一面真っ白な塩の結晶が広がっています。 ...続きを見る

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2012/03/11 00:20
(183)大シルクロード天山南路M クチャU キジル千仏洞
(183)大シルクロード天山南路M クチャU キジル千仏洞 2005年6月3日、クチャの第二日目はキジル千仏洞からです。 キジル千仏洞はクチャから北西67kmのミンウイターグ山の険しい岩壁にあります。キジル千仏洞に着くと、下写真のように銅像と岩壁に掘られた石窟群が見られました。 ...続きを見る

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2012/03/10 13:07
(182)大シルクロード天山南路L クチャT スバシ故城
(182)大シルクロード天山南路L クチャT スバシ故城 2005年6月2日夕刻、クチャに着きました。 クチャは、北は天山山脈、南はタクラマカン沙漠に挟まれた人口40万人の都市です。クチャは紀元2世紀から10世紀頃まで亀茲国の中心でした。亀茲国は仏教王国でしたので、今も近郊にさまざまな仏教遺跡が残っています。三蔵法師玄奘もここを訪れ「大唐西域記」に当時の様子を詳しく書いています。彼はここから天山北路に向かうため、天山の雪解けを待ちクチャに60日余り滞在しました。 しかし10世紀以降は、イスラム化が進み仏教文化は衰退しました。 ...続きを見る

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2012/03/08 17:14
(181)大シルクロード天山南路K コルラから鉄門関、クチャへ
(181)大シルクロード天山南路K コルラから鉄門関、クチャへ 2005年6月2日朝、コルラのホテルの窓から外を見ると、高層ビルが立ち並ぶ近代的な市街が見渡せました。コルラは歴史的にもトルファン、クチャ、楼蘭などのオアシス国家を結ぶ交通の要衝でしたが、タリム盆地の油田開発が進むと、交通の便利なコルラが石油開発の中心基地となりました。市内にはボスタン湖を源流とする孔雀河が流れ、市街には「石油」の文字を冠したビルが立ち並んでいます。私たちが泊まったホテルも「石油賓館」でした。下二枚の写真は翌朝ホテルの窓から撮ったビルの群れです。 ...続きを見る

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2012/03/08 12:11
(180)大シルクロード天山南路J ボスタン湖からコルラへ
(180)大シルクロード天山南路J ボスタン湖からコルラへ 2005年6月1日早朝トルファンを出発して、夕刻になって中国内陸最大の淡水湖であるボスタン湖に近づきました。ボスタン湖の大きさは日本の琵琶湖の2倍といわれています。 バスの窓から見える景色が、砂漠から下写真のように湿地帯に変わってきました。 ...続きを見る

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2012/03/07 21:15
(179)大シルクロード天山南路I トルファンからボスタン湖へ
(179)大シルクロード天山南路I トルファンからボスタン湖へ 三蔵法師玄奘は、高昌国王の引き留めるのを振り切り、高昌国(トルファン)を出発しました。この時、国王は旅の費用として、多くの金銀や馬30頭を贈り、同行の荷物運搬人25人や僧をつけ、さらに道中通過する国の国王への紹介状と贈り物までつけました。三蔵法師玄奘はここから西に向かい、屈支国(亀茲国、いまのクチャ)をめざしました。今回のツアーのトルファンからクチャまでは、三蔵法師玄奘が通ったルートと重なっています。 ...続きを見る

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2012/03/06 18:10
(178)大シルクロード天山南路H トルファンW カレーズ楽園、中国古代三大土木工事
(178)大シルクロード天山南路H トルファンW カレーズ楽園、中国古代三大土木工事 カレーズのしくみ 砂漠の所々には、地下から水がこんこんと湧き出て泉となっている場所、「オアシス」があります。オアシスの周りには、砂漠の中にもかかわらず、みずみずしい緑が生えています。この貴重な水を求めて、多くの旅人や他の地域の人々が集まり、オアシスには次第に都市が造られていきました。 オアシス都市では農業も行われていました。しかし、もともと水は豊富にはありません。そこで人々は智慧をしぼり、水を引く方法を考え出しました。それがカレーズ(カナート)という下図(クリックすると大きくなります)のよう... ...続きを見る

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2012/02/23 12:20
(177)大シルクロード天山南路G トルファンV 交河故城、土の文化
(177)大シルクロード天山南路G トルファンV 交河故城、土の文化 2005年5月31日午前中に、高昌故城、アスターナ古墳、火焔山、ベゼクルク千仏洞を見て、一旦ホテルに戻って休息して、午後少し涼しくなってから交河故城に向かいました。交河故城はトルファン市から西に10kmの台地にあります。台地の断崖の高さは30mあり、両側にヤルナイゼ河が流れています(下写真 クリックすると大きくなります)。 台地の形状は上写真の右の図のように、柳葉状で南北1,650m、東西一番広いところで300mあります。交河は高昌故より100年古いとのことです。最初は車師前王国の都城で、後に... ...続きを見る

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2012/02/22 09:52
(176)大シルクロード天山南路F トルファンU 火焔山、ベゼクリク千仏洞
(176)大シルクロード天山南路F トルファンU 火焔山、ベゼクリク千仏洞 (1)火焔山 火焔山はトルファン盆地の北側に長さ100km、幅10kmにわたって連なる山脈で、トルファンのシンボルです。最高峰の勝金口付近は851mに達します。草木もなく岩肌がまるで炎が激しく舞い踊っているように見えることから、火焔山と呼ばれています。 「西遊記」では、三蔵法師がこの火焔山の燃えさかる様子を見て、鉄扇皇女から芭蕉団扇を借りて火を消すように孫悟空に命じたお話があります。 ...続きを見る

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2012/02/20 23:30
(175)大シルクロード天山南路E トルファンT 高昌故城、アスターナ古墳群
(175)大シルクロード天山南路E トルファンT 高昌故城、アスターナ古墳群 2005年5月31日、トルファンの観光は高昌故城から始まります。高昌故城はトルファンから南東40kmの火焔山を望む砂漠の中にある周囲5kmの城跡です。城内には道が縦横に走り、外城、内城、宮城の三つにわかれています(下写真の中央の四角が内城、クリックすると大きくなります)。 高昌国は漢の時代に軍事用の要塞が築かれたのが始まりで、建国は5世紀です。その後漢人氏族を王とする王朝が続き、6〜7世紀に仏教国として栄えました。高昌国が唐により滅ぼされた後、9世紀にはウイグル人により再び都が置かれましたが、... ...続きを見る

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2012/02/19 17:43
(174)大シルクロード天山南路D 三蔵法師玄奘物語
(174)大シルクロード天山南路D 三蔵法師玄奘物語 トルファンで、三蔵法師玄奘とゆかりの深い高昌故城を訪問するにあたり、玄奘の聖地インドを目ざした求法の旅について説明します。 ...続きを見る

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2012/02/18 16:27
(173)大シルクロード天山南路C ウルムチからトルファンへ
(173)大シルクロード天山南路C ウルムチからトルファンへ 2005年5月30日午後、ウルムチの新疆ウイグル自治区博物館の見学を終えて、トルファンに向かいました。ウルムチからトルファンまでは約150kmで、天山山脈とボグダ山脈の間を南東に走ります。下写真の前方の山脈はボグダ山脈です。 ...続きを見る

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2012/02/17 20:22
(172)大シルクロード天山南路B 新疆ウイグル自治区博物館「楼蘭の美女」
(172)大シルクロード天山南路B 新疆ウイグル自治区博物館「楼蘭の美女」 2005年1月からNHKスペシャル「新シルクロード」シリーズが始まりました。この番組は放送80周年を記念して、日中共同で制作されたものでした。シルクロード旅行を計画していた私にとっては格好の番組でした。その第一回は1月放映の「楼蘭」でした。下写真はその時に放映された楼蘭故城の西175kmの砂丘の中に胡楊の柱が立ち並ぶ丘の「小河墓地」です。 ...続きを見る

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2012/02/16 16:42
(171)大シルクロード天山南路A ウルムチ、天池
(171)大シルクロード天山南路A ウルムチ、天池 2005年5月30日、ウルムチのホテルで目が覚めて、窓から外を見るとウルムチの市街が開けていました。高層ビルが立ち並ぶ、思ったより大きな近代的な街でした。 ...続きを見る

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2012/02/15 21:01
(170)大シルクロード天山南路@ 西安 漢景帝陽陵南闕門遺跡
(170)大シルクロード天山南路@ 西安 漢景帝陽陵南闕門遺跡 2005年5月29日、JTB旅物語「大シルクロード天山南路走破13日間」の参加メンバーが成田に集合しました。参加メンバーは19名(男12名、女7名)で、添乗員は日本に留学に来て日本人と結婚して、20年以上日本に住んでいる中国人女性でした。 この日は09:45成田発のJL609便に乗り、まず西安に向かいました。その後、西安で国内線に乗り換えてウルムチに向かいました。西安での待ち時間は6時間ありました。 下写真は西安空港のターミナルビルです。黄砂なのでしょうか?天気は太陽は出ていますが、空気がど... ...続きを見る

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2012/02/14 16:58
(169)新年会(総会) (ウオーキング花MinG)
(169)新年会(総会) (ウオーキング花MinG) 2月9日(木)恒例のウオーキング花Minの新年会を中華レストラン「黒龍」にて行いました。 出席者は会員26名のうち13名でした。 ...続きを見る

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2012/02/13 10:18
(168)大シルクロード天山南路走破13日間の旅
(168)大シルクロード天山南路走破13日間の旅 (1)西遊記と三蔵法師玄奘 西遊記といえば、おなじみの三蔵法師が、白い馬に乗り、お供に猿の孫悟空、豚の猪八戒、河童の沙悟浄を従え、幾多の妖怪などと戦いながら、天竺へ仏法を学び、経典を授かりに行く物語です。日本でも物語、映画、アニメになっていつの時代でも人気があります。 さて、この物語は実在の人物をモデルにして作られたものです。モデルとなった人物は三蔵法師玄奘(下写真)といいます。 彼は唐代629年、国禁を破って長安を出発し、艱難辛苦の旅を続けて天竺に渡り、仏法を学び、多くの経典をもって64... ...続きを見る

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2012/01/22 19:51
(167)続・東日本大震災@:福島第一原発 政府事故調査・検証委員会 中間報告書
(167)続・東日本大震災@:福島第一原発 政府事故調査・検証委員会 中間報告書 政府の東京電力福島第一原子力発電所における事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東大名誉教授)が昨年12月26日、「中間報告」をまとめ野田首相に提出しました(下写真)。 地震と津波で全電源を失った福島第一原発で、何がおこっていたのか?東電の対応、政府の対応、そして提言等を新聞報道からまとめます。 ...続きを見る

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2012/01/09 13:00
(166)アメリカ大陸横断(付録3) ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜寄贈100周年記念
(166)アメリカ大陸横断(付録3)  ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜寄贈100周年記念 「(158)アメリカ大陸横断(付録2) ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜物語」で説明していますが、日本から最初にワシントンに桜の苗木を贈ったのは1909年です。しかしこの苗木には害虫が発生し、全量焼却処分となりました。この結果を受けて害虫に強い苗木を育成し再度ワシントンやニューヨークに贈ったのが1912年でした。 今年2012年は丁度100周年にあたります。これを記念してワシントンやニューヨークで記念行事が行われます。日本政府も東日本大震災後のアメリカの支援活動に対する感謝を込め、日米友好を... ...続きを見る

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2012/01/06 23:22
(165)新年明けましておめでとうございます
(165)新年明けましておめでとうございます 昨年のブログには東日本大震災、原発事故、沖縄やアメリカなどの旅行記、ヨガ、ウオーキング、地域の情報などについて書きました。 ...続きを見る

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2012/01/01 00:00

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