M YASUDAのブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS (380)彦根城物語@ 築城の経緯と現存する建物

<<   作成日時 : 2015/01/20 20:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

私の生まれ故郷の滋賀県彦根市には井伊家の居城だった「彦根城」があります。彦根城の天守閣は、現在日本にある4つの国宝の天守閣の一つ(残る3つは姫路城、松本城、犬山城)です。社会人となって彦根を離れましたが、子供の頃の記憶と、現代のネットの情報を織り交ぜ「彦根城」を紹介します。下図(クリックすると大きくなります)は現在の彦根城の案内図です。
画像

下写真は現存する国宝の天守閣です。三層の屋根は切妻、入母屋、唐など多様な破風で変化を出し、見事な建築美を醸し出しています。
画像

1600年の関ヶ原の合戦で軍功のあった徳川軍の先鋒井伊直政に石田三成の旧領が与えられました。直政は石田三成の築いた佐和山城に入りましたが、彼の没後、遺志を継いだ嫡子直継が、1604年から琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山)に新たな城の建設にとりかかりました。

徳川家康は豊臣氏や西国大名を抑え込む拠点とするため、諸大名に協力させ築城を急がせました。このため佐和山城から石垣や建物を(三成信仰を残さないため徹底的に破壊し)根こそぎ運び込み、また近隣諸城から天守や城門を解体移築しました。天守閣は京極高次の大津城、天秤櫓は羽柴秀吉の長浜城大手門、西の丸三層櫓は浅井長政の小谷城天守閣を移築したと伝えられています。こうして大阪冬の陣・夏の陣(1614・1615年)までに城郭の主要部分が完成しました。

大阪冬・夏の陣の後、彦根藩単独で二期工事にかかり、城下町を含めた現在の彦根城が完成しました。すべてが完成するまでに20年かかったといわれています。下は江戸時代の彦根城および城下町の図です。琵琶湖と松原内湖、三重の堀と芹川に囲まれ、まさに琵琶湖に浮かぶ城でした。

画像

それでは、現在の彦根城を案内しましょう。まず記念写真のスポットです。中堀と佐和口多門櫓を前景とし背後に天守閣が望める所です。写真の右に佐和口に向かう「いろは松」の並木道があります。写真の部分は古い木造のままですが、一部は復元されてコンクリート造りで「開国記念館」になっています。
画像
下写真は内堀にかかる「表門橋」です。
画像

橋を渡って城内に入ると右手に下写真の「彦根城博物館」があります。これは「表御殿」を復元・再建したものです。
画像

坂道を登って行くと頭上に写真の「廊下橋」が見えます。ここで「大手門」から登ってきた坂道と合流します。
画像

橋の下をくぐって坂道を迂回して廊下橋の正面に来ると、その先に下写真の長浜城から移築した「天秤櫓」が見えます。天秤のように左右対称になっていることから名付けられました。建設当時の廊下橋は敵襲に備えた「跳ね上げ橋」になっていたようです。
画像

「天秤櫓」を通ってさらに坂道を登ると下写真の「太鼓門櫓」に着きます。この門の柱に残っていたたくさんの古い釘穴を、築城以前の彦根山にあった「彦根寺」に、巡礼街道を通ってお参り来た人々が納めるお札を打ち付けた痕跡と考え、この門は彦根寺の山門を移築したものと考えられてきました。
しかし解体修理の部材調査でこの説は否定されました。どこかの城の城門であったことが判明しましが、どこから移築したのかは謎のままです。
(巡礼街道については稿を改めて説明します。)
画像

この門を過ぎると、城山の頂上「本丸」に着きます。現在は天守閣だけですが、藩主の居館である「御広間」、「宝蔵」、「着見櫓」などがありました。下写真は展望台から見た彦根の町並みと石田三成の佐和山城があった「佐和山」です。私が子供の頃、佐和山に登った時には何の標識もなく石垣の石一つありませんでしたが、現在では少し整備され標識もあるようです。
画像

天守閣の背後に「西の丸」跡があり、その一番奥に小谷城から移した「三層櫓」があります(下写真)
画像

この櫓の脇の坂道を降りて「黒門」を通り内濠の外に出ると「楽々園」に着きます。4代藩主井伊直興により建設された彦根藩の下屋敷で、「槻御殿」と呼ばれていました。現在では、建物部分を「楽々園」(下写真)、庭園部分を「玄宮園」(その下の写真)と呼び分けています。
戦後、昭和天皇が戦争に苦しんだ国民をなぐさめ、励ますための「昭和天皇地方御巡幸」で彦根に来られた時には、この「楽々園」にお泊りになりました。
画像

画像

下写真は井伊直弼が世に出る前に過ごした「埋木舎」(うもれぎや)の門です。佐和口多門櫓の近くにあります。
画像

下写真は佐和口多門櫓の背後にある馬屋です。全国の城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がないようです。
画像

彦根城は、一度も「戦さ」を経験することなく平和な江戸時代を送りました。天守は城下から見上げる彦根藩の象徴という役割を担っていたようです。しかし彦根城の試練は明治維新に訪れましたが、それは次回に譲ります。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
(380)彦根城物語@ 築城の経緯と現存する建物 M YASUDAのブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる