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zoom RSS (469)中山道をホントに歩く(1) 「中山道」とその起点「日本橋」

<<   作成日時 : 2017/01/23 11:07   >>

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私は一昨年「大山街道」を歩きました。それ以前には「日光・奥州街道」の一部も歩きました。今年は中山道を歩いてみようと思い、2017年1月12日「日本橋」から歩きはじめました。
下は、広重と渓斎英泉の合作の「木曽街道六十九次」の「日本橋雪の曙」です。いろいろな人が描かれ「お江戸」の賑わいを感じさせてくれます。
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下は中山道の地図です。
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江戸幕府は、日本橋を起点として「五街道」(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)を整備しました。このうち、中山道は東海道と並んで「江戸」と「京都」を結ぶ二大幹線道路として重要な役割を果たしてきました。中山道はお江戸日本橋から京都「三条大橋」まで533km、その間に69の宿場があって、「中山道六十九次」と言われています。「東海道五十三次」に比べ41km長くなっていました。

下は江戸時代に、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の「日本橋」です。
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下は現在の日本橋です。橋の上を首都高速道路が覆っています。
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橋の中央に「日本国道路元標」が埋め込まれています。
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橋の上は交通が激しく見に行くことはできませんが、レプリカが橋のたもと「道路元標の広場」にあります。
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見上げると、首都高速の橋桁の間に「道路元標地点」の標識が浮かんでいます。
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下は現在の日本橋の図面で、橋の四隅に記念碑などの広場があります。
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下は、上記の「日本国道路元標」のレプリカのある広場で、ここに「東京市道路元標」もあります。
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下は「乙女広場」で「日本橋魚市場発祥の地」の石碑があります。」
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横に説明板があり、関東大震災まではここに魚市場があったことが書かれ、当時の日本橋川の写真が埋め込まれています。
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下は現在の「日本橋川」です。川の上は首都高速道路です。
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橋の反対側のたもとに、高札場跡の「花の広場」があり、日本橋の由来の書かれた碑があります。
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その向かい側には、道路から低くなった「滝の広場」があり、ここは密通の男女や心中未遂者等が晒らせた跡です。
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