(192)大シルクロード天山南路(終) 新疆ウイグル自治区の仏教とイスラム教

前回で「大シルクロード天山南路走破13日間」の全行程を終りましたが、かつてこの地で栄えた仏教がどうして消えていったのか?そしてどのような過程でこの地方が現在のようにイスラム化していったのか?またイスラム教とはどのような宗教か?という疑問について、文献を調べたところを書いて旅行記を終ります。

(1)この地域の呼称について
今回旅行した地域の呼称について整理します。
「西域」=タリム盆地地域は秦漢・隋唐以来、「西域」と呼ばれてきました。清朝時代はイスラム化した住民というで「回疆」あるいはイスラム教徒の部落という意味で「回部」とも呼ばれてきました。

「新疆」=現在の行政的な名称として「新疆ウイグル自治区」が使われていますが、「新疆」という呼称は、清朝末期にこの地域が「清国」に正式に省として編入された際に「新しい国土」という意味で付けられたのが始まりです。

「東トルキスタン」=トルキスタンとは「トルコ人の土地」を意味し、中央アジアをさします。北部パミール高原を境に、東トルキスタンがタリム盆地、西トルキスタンがトウラン低地をさします。このため「新疆ウイグル自治区」を「東トルキスタン」と呼ぶことがあります。現地人は好んでこの呼称を使うようですが、中国政府はこの呼称をイスラム原理主義やテロ過激派と結び付け、厳しく取り締まっています。(私が掲載した中国の原爆実験の地図には下にようにこの呼称が使われています)
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http://21432839.at.webry.info/201202/article_3.html

(2)世界に宗教分布の現状
まず現在の世界の宗教分布は下図(以下図表はすべてクリックすると大きくなります)のようになっています。
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イスラム教の分布の東端はユーラシア大陸では中国の新疆ウイグル自治区です。しかし、今回の旅行で、新疆ウイグル自治区では、昔々仏教が栄えた跡を見てきました。またイスラム教徒が仏教遺跡を破壊してきた跡も見てきました。どうしてこのようなことになったのでしょうか?

(3)仏教の誕生とその広まり
仏教はインドで、紀元前428年に釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が悟りを開いてブッダとなり、その教えを広めたのがその始まりです。その後、仏教はアジアの各地に広まって行きます。その広まって行く様子を下図に示します。
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図にあるように、西域を経て中国、朝鮮半島、日本に伝わった仏教を北伝仏教、スリランカからタイ、ミヤンマーなど東南アジアに伝わった仏教を南伝仏教といいます。しかしその教えが異なっていたため、北伝仏教を大乗仏教、南伝仏教を部派仏教とも言います。
図では、仏教が西域に伝わったのは紀元前1世紀となっています。仏教が誕生して400年後です(因みに日本に伝わったのは紀元後538年ですから、仏教が誕生して1,000年も後のことです)。
三蔵法師玄奘がインドをめざし、長安を出発したのは629年です。彼の書いた「大唐西域記」にはこの頃の西域では仏教が栄えていたことを記しています。しかし仏教が誕生したインドではすでに仏教が衰退していることも書かれています。

(4)イスラム教の誕生とその広まり
イスラム教は、西暦610年にアランビヤでムハンマドという人物が、神の啓示を受けて預言者になったことから始まります。仏教を始めたブッダから1,000年も後のことです。
しかし、活発な布教活動で、瞬く間にその範囲を下の図のように広げて行きました。
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西域で最初にイスラム化したのはカシュガルで、カラハン王朝がその役割を果たしました。
10世紀にはイスラム教を国教と定め、イスラム教への強制改宗や仏教徒への弾圧を行いました。反抗するものに対しては「聖戦」(ジハード)を挑みました。こうして西域での仏教は消滅していきました。同時に仏像、壁画なども破壊されてしまいました。

(6)イスラム教の基礎知識
イスラム教の社会では、神の教えが生活のすみずみまで根付いています。コーランは、聖典であると同時に、次のような日々の生活の決まりが書いてあります。

六信(イスラム教徒が信じるべきもの)
=万物をつくった唯一神アッラー
聖典=コーランや聖書。法典であり、生活規範
天使=神と地上を結びつける存在
使徒=モーゼ、ダビデ、イエス、ムハンマドなど
来世=信仰が深くて善行をつめば天国に行ける。反対に行いが悪ければ地獄に落ちる
天命=人間の行為は、すべてアッラーが定めている。

五行(生活の中で守らなければならない義務)
信仰の告白=「アッラーのほかに神はなし、ムハンマドはその使徒なり」と祈りの時にとなえる。
礼拝=毎日5回、また毎金曜日にモスクで祈る。
断食=第9月(ラマダーン)の一か月間、日中の飲食が禁じられている。
喜捨=貧しい人に、自分の財産からお金や食べ物を分け与える。
巡礼=一生に一度、聖地メッカとその近郊を訪れ、儀礼をおこなう。

下にイスラムの礼拝を図示します。
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①メッカに向かって立つ。②両手を耳まで上げる。③両手をへその前で重ねる。④おじぎをする。⑤直立する。⑥~⑩平伏し頭を地に着ける。⑪~⑫首を左右に振り、礼拝終了。

下の写真はメッカのカバー神殿です。カバー神殿はイスラム教の最高神殿で、巡礼者はその周囲を回りながら祈ります。
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厳しい戒律の一例としては、食べ物では、豚肉を食べることが、禁じられています。牛や羊、鳩など食べることが許されている動物でも、厳しい決まりがあります。コーランを唱えながら動物を殺し、また解体する時も一定の方法で処理することになっています。

ギャンブルや酒を飲んだり、妻以外の女性と仲良くすることが禁じられています。このため、同性の友人どうしで集まってお茶を飲んだり、おしゃべりしたり、共同浴場に行くのが人々の楽しみとなっています。

(7)イスラム世界で発展した学問
イスラム教は生活の決まりまで定めており、極めて保守的と思われます。しかしイスラム教が各地に広まって行く中で、ギリシャやペルシャ、インドなどの学問や文化がイスラム世界にもたらされました。イスラム世界はそれらを吸収しながら、さらに発展させ、さまざまな分野で、今日につらなる大きな成果を上げ、後にヨーロッパに伝わり、近代科学の発展に大きな影響を与えます。

天文学では、占星術とともに発達し、天文台が各地に造られました。アストロラーベなどが発明・改良され、航海術が発展し、イスラム商人が世界に進出することを可能にしました。
数学ではインドで生まれたゼロの考え方や、十進法による計算、古代ギリシャの幾何学などが、イスラム世界にもたらされ、代数学がうまれるなど、数学が大きく発展しました。今日私たちが数字の原型となったアラビア数字も作られました。
医学では経験に基づいた医学が発達し、外科手術や麻酔が使われました。
化学では、実験が重視され、化学の研究が進みました。この結果がヨーロッパに伝わり、実験道具や薬品などはアラビヤ語で呼ばれています。アルコール、アルカリ、コットン、ガーゼ、ソーダ、シュガーなどはアラビヤ語です。

(7)終わりに
日本で育った私たちにとっては、今なお世界各地で起こっている、宗教紛争(宗教戦争)は理解しがたいものです。世界人口の約20%はイスラム教徒といわれています。今も中東の紛争は泥沼化し解決の見通しは全くたっていません。今回の旅行では、三蔵法師玄奘の苦難の旅を実感し、また仏教遺跡を見ましたが、同時にイスラム教を理解する必要性を感じました。

この記事へのコメント

ふるやのもり
2012年03月21日 22:32
中国とひと口に言っても
本当に中国は広い国なのですね。
ブログを見させていただいただけでも
とてもひとくくりにできる国ではないなと感じました。
西の方はイスラムの国なのですね。
イスラム教というのは馴染みがなく
良く知らないのですが
少し主人から聞いて知っている事と言えば
産油国に入港した時現地の人が
トイレットペーパーなどの船の備品を持って帰ってしまう
と言う事でしょうか。
何でも持てる者は持たない者に与えないといけないので
勝手に持って行っても良いのだそうで・・・
そんなら、もっと石油を分け与えてくれたらいいのに
と思うのですが
さっぱり分かりません。
もっと知るべきなのかもしれませんね。
2012年03月22日 11:06
ふるやのもりさん
富める者が貧しい人に物を与えることは、「五行」の「喜捨」としてコーランに書いてあります。
イスラム教徒がコーランを厳密に守れば平和な社会が実現でできるはずですが、まったくそのようになりません。コーランの自分に都合の良いところだけ取って、対立するものには「聖戦」(ジハード)を挑み、対立が激化しています。
宗教の違いによって、これほど対立することが、日本人には理解できないところだと思います。

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