(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所

登戸研究所でまず疑念を抱かれるのが、人体実験をしていたかどうか?でしょう。今回は731部隊と関連して、この点を解明してみます。

満州731部隊
陸軍が石井四郎軍医の提言により、生物兵器の研究を始めたのは1930年からです。軍医学校の「防疫部」では当初、ワクチンなどの研究製造を行っていましたが、1932年「防疫給水部」と改称し、本格的細菌戦研究を開始しました。そして1940年には石井四郎が部隊長を務める「関東軍防疫給水部」(秘匿名「満州731部隊」が設置されました。その後中国全土に支部が設置され、人体実験を伴いながら、細菌の研究・開発・製造が行われていきました。

ハルビンには「731部隊陳列館」がありますが、その内容がよくわかる写真が次のブログに掲載されていますので、その中から抜粋し掲載します。
http://blog.goo.ne.jp/yo19462177/e/d55dcbf6c0f1e61e141607a97ba38110
まず本館の正面玄関です。

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次は部隊長の部屋。
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ボイラー室跡です。
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次は陳列品です。
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この遺跡を、アウシュビッツ、広島の原爆ドームと同様、負の世界遺産に登録しようとする動きがあるようです。

満州100部隊
人体に対する攻撃意図をもった生物兵器研究とは異なる、動物に対する細菌部隊も設置されました。「関東軍軍馬防疫部」(秘匿名「満州100部隊」)がそれで、陸軍獣医学校がこれを担当しました。

登戸研究所
登戸研究所でも1940年から独自に生物兵器の研究を開始し、その研究室も建設されました。当初は、基礎研究と実験が主でした。現在の「登戸研究所資料館」は、生物化学兵器の研究・開発していた当時の建物を改修したものです。
対人細菌兵器としては、731部隊が研究開発したチフス菌、コレラ菌、ペスト菌などが研究され、対動物細菌兵器としては牛疫、豚コレラ、羊痘、家禽ペストなどが研究されました。これらの研究は当初は小規模でしたが、1943年後半の風船爆弾作戦が具体化すると、一挙に組織が拡大強化されました。
しかしこのように規模が拡大すると、登戸研究所だけでは到底不可能でした。このため釜山の朝鮮総督府家畜衛生研究所(下図面はその建物配置図 クリックすると大きくなります)やその他の機関が研究に加わりました。
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下写真は現在の国立獣医科学検疫院釜山支所に残る、実験に使用した動物を焼却したと思われる焼却炉です。
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下写真は焼却炉の内部と検疫院の外観です。
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しかし、風船爆弾に牛疫は搭載されなかったことは前回記載しました。

登戸研究所における、人体実験は確認されていませんが、登戸研究所の所員が、外地の731部隊に出張して、この種の実験を行っていたことは推定できます。

下の写真は登戸研究所の中の動物慰霊碑です。
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この碑は、1943年に登戸研究所の研究成果が認められて、受賞した陸軍技術有功賞の賞金1万円(現在の約1,000万円)で、実験動物の供養のために建立されたものです。石碑の表には「動物慰霊碑 篠田鐐書」裏には「昭和十八年三月 陸軍登戸研究所建之」とあります。現在も明治大学農学部の研究に使われた動物を供養する動物慰霊祭が執り行われています。

もう一つ奇異に感じるのは、大学の中に神社(下写真)があることです。上に記した弥心神社です。動物慰霊碑と同時期に同じ賞金で建立されました。研究中の事故で亡くなった所員を慰めるため、東京の陸軍科学研究所内の神社から分祀されました。戦勝祈願や慰霊祭、出征する所員の見送りなどが行われました。
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戦後、研究所が米軍に接収され、神社も廃社となりました。明治大学が払い下げを受けた際、生田神社と改めて祀り直し、毎年祭礼が行われています。

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